シゴトの定義について

時事・事象・社会現象

ちょっと興味深い話を聞く機会があったのでシェアしたく書きます。「仕事の定義と作業の定義」という微妙に似て非なるものについての話をする機会があって、そのあたりのやり取りが非常に興味深いものだったので…ちょっとグッときました。私たちは日々の糧を仕事を通じて得るという形態でもって生活を成しているわけですが、昨今は個人事業などの仕事の形態が変わりつつあるといわれる昨今に於いて「どこまでがどう仕事なのか」という話が非常に面白いと思いました。クリエイターなどの「個人でのモノづくり系業務」というのが「非常にあやふやなラインだった」というのが引っかかったのがきっかけでした。

私見での回答ですが、私は「人とのやり取りを伴う必要が無い業務を『作業』と定義し、人とのやり取りが発生し得る業務を『仕事』と定義してはどうか」と発言しました。対価報酬を得るには必ず対価報酬を払う人が存在し、その相手が明確にいるかいないかが仕事と作業の境界線ではないか…と言いました。そこから色々な話が出てきたのですが、結局は「取引は相手がいないと成立しない」という話から一理あるという結論を得るに至りました。この一連の話から得たモノは「対人関係は重要である」という結論と、「コミュニケーションの是非は取引に於ける重要なファクターである」という「コミュ障の否定」で幕を閉じました。やはり「泣きながらでもコミュ障は克服しなくてはならない」という現実は痛い部分ですが、目を背けられない現実として受け止めなくてはいけないようです。

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昨今のSNS界隈で「絵師の対価はどのくらい必要か?」という話で熱弁を振るったばかりだったのですが、最近は「ネットにはタダで得られるモノが氾濫している」的な誤解を招く事案が複数あるとかそういう話が多数あったりして…純粋な無料実質的な無料と、という「ややこしいほど似ていて非なるもの」について話をする機会が増えたように思います。世の中には金払いの悪い人というかビタ一文出しませんと公言して止まない人々というのはかなりの数いると言いますが、その発言と振る舞いが巡り巡ってどうなるかという話は…因果応報というか何というか、とても興味深いものでした。

社会がお金を基準とした価値観を形成している以上、お金の使い方はどんな使途の分野であっても「投資である」と考えた方が昨今は幸せになれるのではないか…という話はちょっと頷いてしまいました。ただ、その辺の基準や相場といった情報がかなり乏しいというのが…絵師界隈の話で言えばその辺の共有知がもっと普及すべきではないか、なんていう話もありました。私たちはもっと「業務契約について」だとか「業務相場について」だとか、もっと仕事観のある情報をシェアしていった方が良いのではないか? とも提言したのですが…その辺は何となく有耶無耶になりました。仕事の形態や働き方改革があるというのなら、私たちはもっとそういう属性の情報をガツガツとあつめないとマズいのかもしれません。知らない事で損をすることは異常に多いので

末端の絵師界隈の人なので絵の界隈の話で書きますが、「絵を描くだけ」というのは「作業」です。これだけでは仕事として成立はしません。そこに価値を付け取引を持ちかけられるというところまで話が進めば、それは「仕事」に変化します。SNSに絵を投稿するのは「作業」に属する行動ですが、それは「宣伝」という「仕事」に転化できる行動でもあります。その辺のバランスは非常に難しいと言わざるを得ませんが、そこに「価値が付随するか否か」が仕事か作業かを仕分け、SNSの投稿を「完全無料の公開」か「実質無料の公開」かに仕分ける分岐になると考えています。ここで指す「実質無料」というのは、宣伝行為などによって別件や別系統の収入が発生し得るかどうかという話で、「絵の情報が欲しい」人はその人の作品を「とりあえず無料で閲覧する機会を得る」けど、「絵という作品そのものが欲しい」という人は…という話。そもそもインターネット界隈の無料サービスの収入モデルはそういうところに根源があり、誰かの無料モデルはどこか違うフィールドで有料化モデルとして出来上がっている…というのがネット界隈の本質だったりします。

ビジネスは「ヒトとヒトとで価値を繋ぐ行為」であると考えています。おそらく一番単純な言葉で説明するとなれば…何となくこういう言葉でもってしか表現できないんじゃないかって思っています。

世の中に成果主義の思想が流入し、以前の価値観が通用しなくなってきた昨今の時代背景を生き抜くには…こういった考え方の変革が必要なんじゃないかと思っている次第です。必要以上にソロバン勘定をするのはさすがに…とは思うものの、価値を値段で計る時代になってきた昨今の潮流に合わせようとするのであれば、私たちはもっと行為に対しての対価をバンバン払うくらいにならなくてはならないのかもしれません。一連の行為に対して「消費ではなく、投資である」と言い切れるくらいに金払いが良くなりたいものですが…私たちの「消費観」が「投資観」に変化すれば、実はもっと個人ビジネスは加速するんじゃないか…なんて妄想を抱いていたりもします。案外、無駄と有益は紙一重なのかもしれません。そう考えると世の中は…という物語が発生するような気がして夢が膨らむような…そんな気がします。

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