「偉い人にはそれがわからんのです」

時事・事象・社会現象

その界隈や業界にて「一番偉い人」というのが「何を基準として偉いのか」というのがイマイチ噛み合ってないのが日本の悪い部分だと思うようになった昨今、これらの齟齬によって多くの界隈の世界にて混乱や意思疎通の不具合が発生しているのではないかと考えています。解決策は何か、適切な選択肢は何か。多くの場合、その回答が的を射ていないのはないかと思っています。仕事も趣味も、果ては国際政治に至るまで。国家の元首が必ずしも政治のプロではなく、企業のトップが現場事情に精通しているとは限らず、同好の士であれど対立関係を擁してしまうのではないか。そう仮定すると何となく話がしっくりきてしまうのは何故でしょうか?

そもそも「偉い自分をひけらかす」というのが根本的に「私は思慮深いプロではありません」と公言しているようでならないのですが、仕事というのはマウントの取り合いだと勘違いしている人はやはり多いようです。仕事は人とのやり取りであり、作業や行為の提供であり、円滑なコミュニティ形成によって仕事が円滑に回るといろんな啓発書や現場上司から教えられてきたのですが、どれほどの縁がそれに合致していたかという話…ちょっと残念な結果でしかなかったというわけでして憂鬱になってしまいます。そもそも「偉い」とは「自慢の材料」なのか、という話も結構興味深かったりします。

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平成の大不況と呼ばれる就職難の時代に多くの仕事をハシゴするという人生経験を持つ中の人ですが、得てして人間関係で上手くいったという話がなくて憂鬱度が高い状態が続いています。現場仕事の多くは多岐にわたる問題を抱えているというのが常だったのですが、それを理解し対策を講じてくれる上司には一度たりとも恵まれなかったのは非常に残念な話でした。その無知ぶりが故に情報職というのが成り立っているというのもなかなか渋い顔になる話ですが、昨今は情報の分析や運用といった情報活用分野が大幅に遅れている感が否めず、トラブルの際の先頭に立つこともなく形式めいた対策ばかりを提示するばかりという事案は多数見る羽目になってきました。「それが当たり前」という時代は確かにあったかもしれませんが、可視化されるようなった昨今はその言葉はただの言い訳にしかなりません

日本企業界隈に於ける平成という時代は、おおよそ搾取時代と呼んでも良いくらいに人事が雑に扱われてきた時代だと思っています。もっともかつてから搾取時代として機能していてそれが可視化されただけだったのかもしれませんが、人に価値を見いだす行為が衰退し、人への投資や教育が自己責任に転嫁されたり、何より人に対する価値の基準が大幅に下方修正された暗黒時代だったと考えています。人に価値がなくなり、地域を活発化させる要因が減り、ついでに会社の給与は右下がりで税金負担だけが増えて…これが誰かの望んだ愚策であるとすれば、日本の未来は持って数年規模といったところでしょうか。

勤勉な業務の裏側には過剰な要求があり、成果主義の名の下に個人の業務負担は右上がりにされ、問題発生時には多くを自己責任論で無視し続けてきた社会に、昨今の人々がどれほど辟易としてきたかは定かではありません。教育の向上を背景にしつつも「子供がうるさい」と疎み、社会環境の変革の潮流には「俺たちの時代は違った」と地団駄を踏み、便利になる社会背景に対して「俺たちと同じ苦労をしろ」と無理強いしてきた社会がおおよそ令和元年の今の事情だったりします。多くの人が言葉に出来ない矛盾を感じているかもしれませんが、かつて時代を牽引してきたとされる年配者のスクラム発言は予想より大きく強く、昨今は巨大なクレーマーとして機能することも多数あるとかそうでないとか。彼らの思考停止に付き合いたくはないですが、少子高齢化による若年層の発言力不足は深刻の極みであり、諾々と受け入れるしかない状況に陥るという状況が続いていると聞きます。

社会が生きにくくなったというのは、おおよそチグハグな上下関係ではないかとにらんでいます。現場を知らない会社のトップや、政治経済に疎い国会議員、感情的になりすぎる声の大きな人々…事例を挙げればきりがありませんが、はっきり言えるのはこの抑圧を求めて止まない社会は誰かの富や権力維持のために仕組まれているのではないかという疑念です。今までそれらの事実を大きく隠蔽されてきた、と考えるとそのパズルの一角が浮き上がってくるように感じます。それが誰の何のためのものかは知る由も有りませんが、世界には話の通じない人が一定数いるというのは間違いないのではないかと考えている次第です。

昨今の「国会ショーでの政権糾弾」映像が物語るものは「国益による未来図の描画」ではなく「自己主張と権力獲得の野次」であり、昨今の仕事現場で見受けられるブラック体質の多くは「搾取のための算段」でしかないのではないかという話。少なくとも日本もおおよそ未来志向について諦めている「その場しのぎの未来」だけでまわっているようにも見えてしまいます。伝わらない彼らを足下から動かして行くには相応のエネルギーが必要ですが、考えを変えることがないであろう彼らを動かすためにどれほど莫大なエネルギーが必要なのか…途方に暮れるばかりです。

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