学校教育の形骸化についての論争

時事・事象・社会現象

多様な環境から不登校に陥る児童が増えていることが問題視されている昨今ですが、これだけ多様化した社会環境を鑑みること無く昭和後期くらいから別段変わることを意図しなかったとも思える学校教育の方針についてはどうなのか、という話が局地的に話題になっています。どういうことかというと「別に義務教育を不登校で終えても良いじゃないか」という論争の巻き起こりのはじまりであり、それがかなりの数「肯定的に受け止められる」という状況の発生だということ。義務教育不要論にはいささか大きな疑問符がありますが、義務教育を行う環境はもう少し現状の社会情勢を反映させた環境にした方が良いという考えや意見にはおおよそ賛同であり、それによって発生してしまう不登校を含む義務教育不要論の発生はいささか必然に思えてしまう部分でもあります。

「現代学校教育がどうあるべきか」という論争も必要であると思うのですが、学校教育というものが地域社会と密接に関わっていることはもっと知られておいて欲しいと思う事でもあり、教育はやはり「地域や人とのつながり」に帰結するものと考えています。学校社会が一部のモンスターによって破壊されつつあるという実情は認知されて来ている話であり、親子の無関係性が事件的事案を発生させたりもしており、地域への過剰反応によって教育の悪影響を拡大させてしまったりという事案はわりと全国規模で発生しています。知られていない問題は実は数多く、それらを無関心の名の下に放置している状況こそが「教育の形骸化」や「教育の放棄」に繋がっているのという理屈はもっと関心を集めても良いように思いますが、それに関心が伴わないことこそがこの問題が解決しない根本的理由なのかもしれません。

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そもそもの教育が「教育ノルマ」という良くわからない尺度でよって決められているのが根本的な温度差の原因なのかもしれませんし、個人の人生経験論でもって教育の尺度を決定づけているというのが問題なのかもしれません。どういった教育が理想なのかもまた人の感性や尺度によって様変わりする不安定形のものであることも認識しなくてはならず、決定付けられた教育方針というものがそもそも決定困難であることも考慮しなくてはならない事案です。何が言いたいかというと「教育は無限に終わらないトライエラーとアップデートの繰り返し」であり、それらは「個人や団体が全力で取り組んだくらいでは解決し得ないほどの労力を要する」ということであり、「なにも義務教育対象者だけが教育の対象ではない」という厄介極まりない話であるということ。「義務教育が不要である」ではなく「人生は死ぬまで学習である」の方が的を射ており、理想の教育が義務教育の9年間くらいで得られるかと言えばまず無理であろうという話。ここに、そもそもの教育論の温度差があると考えています。

「何故不登校が発生するか」という問題を議論する前に「何故学校に行くことがイヤなのか」を聞くことが先決なのですが、昨今は「とにかく学校に行くことを強いる」傾向が強いように思う次第です。そこに至る経緯は多様でデリケートな問題も多大に含んでいるのですが、それらはおおよそマニュアル方式で解決出来る問題ではなく、ましてや印象や面子の問題で有耶無耶にできる問題でもありませんが、多くのいじめ問題や教育問題は有耶無耶にされ、刑事性のメスが入るまで伏せられてきたという過去事例があります。義務がつくほどの基礎教育は必要と考えていますが、身体や生命の危機に晒してまで強要すべき教育なのかと言えば当然のように疑念を抱かざるを得ません。現状の学校社会が変わらないというのであれば「義務教育に相当する代替策の造成」は必要不可欠であると考えます。ただし、それには多くの人の助力と対象者本人の意思が必要になってくる都合、それらを相談できるような社会構造が必要であるという認識は共有できればと思う次第です。教育問題の多くは個人レベルで解決出来ない問題なのですが、昨今はあまりにも自己責任の名の下に個人追求が激しすぎる気がします。

理想の教育が数年規模の短期間で伝達できるものでは無いことは重々承知であると思いますが、それに対して過度に無関心でいることも問題視されて然りだと思う次第です。学校で教えることだけが教育ではないことは早いうちから認知されて良い事だと思うし、義務教育を終えた大人たちは義務教育を受けている子供たちの模範になる努力をする必要があるとも思う次第です。「人生は誰かの鏡で出来ている」とは言い過ぎかと思うのですが、大人を見て子供が育つという理屈を考えれば、私たちは少しで良いので地域社会に関心を持ち大人としての自覚を持ち、未来についての考えを巡らせそれに準じた行動について考え、時にはそういった事について何かしらの実行を伴う必要があるのでは無いかと考える次第です。

いつから他者への関与が拒絶されるような風潮になったかは解りませんが、今の時代に合致した関わり方でもって人や地域に関わることができれば、と思う昨今です。

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