思考停止に陥る近年の事情について

時事・事象・社会現象

猫も杓子もAI技術と囁かれるようになってきた昨今に「思考を止めた人間の増加」を指摘する人々が増えてきたと言われているようです。「AIが最適解を出すから」というニュアンスの意味で「人々が考えることを止めてしまうのではないか」という危惧を言語化したワードと言われていますが、近年の時事・事件にはそれを浮き彫りにしたような出来事が複数あると言う情報を認識しています。そもそもAIの本質は「データ収集を整理したデータベース」なのですが、思考停止の人々は「彼らは未来予知をして適切な回答を提示してくれる」と信じて疑っていないとか何とかで、AIに任せれば世の中の多くが上手くまわると信じているとかそうでないとか。AIはいつから現代神になったのか。

過去にインターネット普及期に於ける「検索エンジン依存」のような出来事があり「なんでも検索エンジンが解決してくれる」という錯誤した思想が蔓延した時期がありましたが、それに似た事象が起きているように思っています。「インターネットに点在する有益な情報を探し当てる」という技術は確かに多くの知的探求を解決してきたという実績がありますが、その情報の発信源を辿ればそこには「人的な努力と探求を発信する」という人力検索のようなエネルギーがそこにあったというだけの話であり、結局のところ「誰かの努力や探求をのぞき見しただけ」であるにも関わらず「何かを成し遂げたような錯覚」を得て悦に入るという本末転倒な事例がさも「個々の努力の賜物」のように持ち上げられたという話。これと同類の諸問題がこれから噴出されるのではないかと予想されているようですが、おそらく同様の諸問題は発生するものと思われる次第です。

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これからAIを経由して発生するであろう問題は、過去から続いてきた人的軽視思想と知的優越錯誤という「厄介ごとのハイブリッド」な問題であると、AI危惧者の界隈からは言われているようです。「百聞は一見にしかず」とはいいますが、「知識と経験の及ぼす影響」を天秤にかけた場合に個人が影響を受ける可能性が高いのはやはり「経験や体験」であり、「知識」は「経験や体験があってこそ生きる」という体裁になりやすいという話であり、脳内で仕分けられる重要度はやはり経験に分があるという話のようです。つまり「AIによって得た膨大な知識による莫大な経験を得たような錯覚を持つ」という可能性に言及が及んでいるようです。また、スマホなどでもこれらAIデータベースにアクセスが容易になることは、「それだけ自分で考えることを止めてしまう動機になってしまう」ということで、AIの加速度的な進歩と展開に危機感を募らせているという意見もあります。

知的倫理観の低下による諸問題

検索エンジンが深く生活に根付くようになり、誰もが検索エンジンで情報を探すようになった際に「検索上位の情報の整合性は高いもの」という誰が決めたでもない情報が暗黙知として周知されるようになった。昨今の検索エンジンの精度からもその情報の精査性は高いとはいわれていたものの、それは「機械的な検索エンジン対策によって揺らいでしまうもの」でもあったため、しばし情報の正確性に問題が発生することになった。問題は「検索上位=正確な情報」という差異のある暗黙知によって誤認されたことによる「実害の発生」にあり、一部は社会問題にもなった。また、スマホなどから安直にアクセス出来るようになった昨今は「検索で調べれば大丈夫」という根拠のない安心感から思考放棄に至るケースも多くなったという指摘もあり、AI時代の到来はかつての「検索依存の上位互換的厄介問題」が多くなるという指摘が一部界隈で叫ばれているという。

「考えることをやめる」ことが及ぼす社会的影響は根深く、また生活そのものの動機を減らす要因として機能すると言われています。「無趣味・惰性的生活」はその最たる事例であり、より短絡的かつ感情的に生きる動機になるとも言われていると言います。昨今の趣味界隈では知的趣味が減少傾向にあり、より直接的・感覚的に伝わる趣味や娯楽がもてはやされる傾向にあるといわれ、その中には法的に抵触のある分野もあるという指摘があったりします。また、昨今多くの人が利用するSNSサービスは「直感的・感覚的に理解しやすいもの」が受け容れられやすい傾向にあり、ショート動画や短文によるテキスト発信などが受け容れられやすく、ニュースサイトやブログなどはあまり受け容れられない傾向になってきていると言われています。問題はこれら直感的コンテンツではなく、直感的コンテンツに浸されて深く思考をすることをやめてしまうことだという話。

昨今のSNSではしばし閲覧規制がかかるような動画や映像がタイムラインに乗ることがありますが、それは危機的啓発を含むと同時に「危機的な知識と倫理不足」という側面を映し出す二枚鏡として機能しているということです。ひとつの動画や映像が人によって解釈違いを起こすこの問題によって「これが社会的に悪いこと」であるか「これが社会的にまかり通っていること」かの判断があやふやになっているという指摘がありますし、実際にそれらが「実際の映像として拡散される」ということも問題として指摘されています。そもそも「社会的に問題がある動画を面白半分で投稿する精神性」がそもそも問題であったりもしますし、「それらがある種の娯楽として周知されている」グループなどが存在することも問題です。また、これらをフェイク動画としてAI生成するケースなどもあるとされ、昨今の知的・倫理基準が一定量破壊されている実情を観測することが出来ます。想定以上にAIは誤用・悪用され、時には社会問題のでっち上げや責任転嫁先に指定されているという「既に起きている問題」にも注視が必要になってきました。

リークが日常になった昨今に於いて

情報のリークとはそもそもが「秘密の暴露」であり、リークが日常になるというのは「守秘性の欠如」を表している。メディアは守秘性ある分野のスパイであるといわれ忌避される時代があったが、昨今は世界のあらゆるジャンルのリーク情報がSNSなどを中心に錯綜している。逆に「暴かれて然るべき守秘の暴露」は「悪意ある形で転嫁される」という昨今の暴露事例はいろいろと物議を醸し出しているが、昨今の情報は本来あるべき機能を果たすことなく想定の範囲外の形で運用されているケースは多い。また、影響力のあるメディアは今でも多くの事象を歪曲報道しているなどの情報も多く、リーク情報という「重大性を含む情報」は想定外の混乱をも引き起こす社会的問題にも成り上がっている。

技術はなおもAIに傾倒しており、これからも加速度的にAI技術は進化するものと推測されます。ただ、時代の激流についていけない層は確実に拡大し、その齟齬の中には確実に知識・倫理の悪用事案が一定数発生するものと思われる次第です。その拡大速度は過去の情報化施策の時よりも遥かに早く、より多くの実害をもたらすのではないかと言われています。ただでさえ「21世紀は捏造の時代」などと揶揄される程度には情報の歪曲や恣意的解釈などは常態化しており、今後の情報誤用や詐欺的な情報流布は増加の一途を辿るものと思われる次第であり、これからはもっと思慮深い行動が求められることは想像に難くないのですが、AIの台頭により「AIの恣意的情報をAIに問い合わせる」という良くわからない状況が増えることは危惧されるべき問題ではないかと思う次第です。この諸問題の対処には多くの思考と情報・経験の類が必要になるのですが、果たして私たちの世代はこの地獄のような思考停止社会に耐えられるのかどうか。

無料で利用出来ると謳うAIサービスも多いようですが、これらAIの利用に際して「通貨」ではなく「知識」を提供して利用していることをもう少し再確認してほしい次第です。せめて、利用して得た情報について「多くを思考し検討してほしい」と願うばかりです。「考える葦である」人間が「考えることを止めてしまう」ことのないように。

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