経済の基礎は「信用の度合い」と言われていますが、昨今の信用を問われる職業に従事している人々が「どの程度信用できるか」という話がここしばらく定期的な話題に持ち上がっています。特に政治・経済に携わる人々の信用崩壊が顕著になっていると言われていますが、彼らが定期的に持ち上げてくる「国民と国益のため」という言葉と真摯に向き合っていたらこんな不毛極まりない日本の実情はもっと早く打破されていたのではないかという話題であふれており、現在進行形で観測史上最悪の与信崩壊の現状を記録しているところです。民主主義の脆弱性を突いた社会のバグをここまで徹底的に私的利用していたという話のほうが信用に足るという話がなかなか重いですが、その「脆弱性を放置していた国民にも問題がある」というのであれば、日本は近い将来「暴力都市」に成り果てるかもしれません。理不尽には理不尽をぶつけるしかないから。
政治・経済を知らずとも投票次第では議員という政治的地位を獲得できるという日本の民主主義システムのバグを突いたこの事態は「不況」という「国民の生命線」を楯に延々と有耶無耶にされてきた経緯があり、失われた30年という時間を経て盤石極まりない状態になってしまったというのが現在の日本の実情かもしれません。しかし、明日の食い扶持にすら困窮する事態を確固たるものにしたことで国民は「政治的関与を持つ機会」を実質的に「奪われた状態」にしたのは間違いなく政府の恣意的な悪意であり、結果として権力維持のために貧困を強いるシステムを四半世紀以上固持してきたために現在の人手不足に至る人的災害がもたらされているというのが今日の日本の実態であり、限られた権力者の富のために約半世紀以上もの日本の人的財産を破壊したその代償はもはや計測不能の数値になっているものと推測される次第です。
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平成から現在に至る不況を実質的に延々と放置したということで国民の意識は「政府に対して極めて不信を抱いている」状態に陥っており、末端のどんな良識ある議員の行為も「トップが握りつぶすという構図」が出来上がってしまったことにより、多くの国民は「国政不信」に陥っていたものと思われます。ただ、それを握りつぶすためだけに強いられた「不況を増幅させる仕組み」によって国民の多くが「関与しても状況は変わらない」という認識になってしまったと言われています。「今日生きるための術を破壊する」ことで徒労感を与え続けたとも言われているようですが、その時間があまりにも長くなりすぎたために修復不能状態にまで陥ったというのが昨今の情勢の俯瞰図のようです。国民主権を掲げた国家が国民の権利をダシに営利を貪る構図は「国家崩壊詐欺」などと揶揄されることもあるようですが、そろそろ「嘘が真になりそうになってきた」という話はさすがに看過できるものではなくなってきました。
「国民一人あたりの借金」という表現について
「国民一人あたりの借金」という言葉が指しているものは「国家事業の失策」などで発生した財政問題を指しており、それが意味するものは「国策の失敗」であり、その責任の所在を追及するのであれば「決定権を持つ国家機関」であり、それを決定し実施した「決定権を行使した議員や官僚に責任がある」ということになる。これに付随する「民営化」というのは「採算性の乏しい事業の再生」という表現を使われることがあるが、表現の視点を変えれば「無能な官僚には手に負えないから丸投げしました」という表現になる。つまり「国家の失策を民間に押しつけ」ておいて「採算がとれないのは企業努力のせいだ」と論点のすり替えを行っていることになる。必須インフラなどの整備は採算度外視で実施するべきという公的投資の意味合いを「採算ありき」に転換したきっかけとして強力な刷り込みとして機能しており、結果として必要な公共事業の凍結などに繋がるなどの「国民の安全な生活の担保」ができない状況になりつつある。端的に表現すると「国民から預かった税金を不正利用して帳簿の辻褄が合わなくなった」ことを国民に転嫁しているので「国家詐欺」という表現が「ある意味間違っていない状況」になっている。
今年7月の参議院選挙で与党である自民党の議席が大幅に減少するという事態が発生しており、何らかの形での政権交代はあり得る状況になってきました。ただ、現状に於ける「政権交代への期待感」はほとんど感じられず、「前政権よりは多少はマシ」くらいの認識になりつつあるくらいには「政治への不信感」は高まっている状態であり、状況は「少なくとも良くはならないだろう」という悲観的観測に満ちている状態です。これはかつての民主党政権時代の負のイメージが継承されているものだと思われますが、「政治の現場に政治的知識や経験のある人の不在」の暗喩的な部分でもあり、「誰が政権を取ったところで国家は良くならないだろう」という無言のメッセージになりつつあります。東日本大震災の際に「現場を良く回すための独断」と「現場に良かれと思って混乱を巻き起こした独断」があった逸話は今でも話題になりますが、結果として「政治の現場には政治の舵を取れる人材はもういないだろう」という確証めいた情報を発信した希有な例になったようにも見えます。後日談で「最適解は現場判断だった」とか「上層部は現場を混乱させただけだった」という話は未だに枚挙に暇がないというくらいには。
少なくとも現在、政界の上層部にいる発言力の強い人たちからは信用も誠意も感じられないのが実情であり、その回答は安倍元総理の暗殺事件の際の言及発言に明確に放たれたものと思う次第です。あの時に事件を肯定し罵詈雑言を浴びせるような発言をした発言者が結構な数いたことは今でも政界の悔恨として刻まれているという話であり、そもそも「人としての道に反する発言を公の場でも平然と行う程度の人々」が国益云々を語ることこそがもう「おこがましいを体現している」としか。これから日本で起きるであろう事件・事態・状況はそういった負の連鎖の副産物であり、その数は見えない部分を含むと計り知れない数にまでなるだろうという話であり、「杉の木材がほしいから花粉に耐えろ」というような話になるだろうとも言われているようで、「花粉症で死人が出る」という与太話レベルの悪夢の果実がスギ花粉くらいの物量で押し寄せてくるイメージ。
稀代の人手不足の正体が「搾取の副産物」だった訳ですが、「そもそも搾取するものがなくなった」事態になった昨今ずっと沈黙をキメているのは、実質的な「答え合わせ」になっているものと思われます。
失われた30年間にあったこととは
平成という時代を満遍なく覆い尽くした不況の時代に日本各地を騒がせたのは、数多くの「分断の形成」だと言われている。世代間・家庭内・地域社会などで少しずつ発生した分断は長期にわたる放置によってその亀裂が大きくなりすぎるにまで至ったといわれており、巡り巡ってセーフティネットまでをも分断したともされている。情報弱者であることを強いられることによって「受けられるはずのセーフティネットを受けられない」という話は枚挙に暇がなく、情報量によっての社会的亀裂は極めて深刻なものになった。また、「自己責任」という言葉が浸透する背景には痛烈な「責任転嫁」が背景にあり、「おまえの代わりはいくらでもいる」などのハラスメントの温床としても深く根ざす結果となった。また、多様性という名の少数問題を絶対的社会問題に仕立て上げた「民主主義ルールの改変」なども多く観測され、拗らせた差別・迫害主義を加速させる結果に至っている。ただ、これらの提起・提唱した人々の多くがこれらの問題に真摯に取り組んでいないという「最も深刻な問題」は「禁忌化」しており、多くのメディアが沈黙を貫いたという問題も付随している。
近年の社会的信用は深刻なレベルで毀損されており、捏造・冤罪・詐欺の類はSNSの日常並に簡単に破壊されている現状があります。今となっては罵詈雑言・中傷誹謗・暴力から犯罪の類までがインターネットのタイムラインで簡単に観測できる程度に倫理・道徳に欠く情報が散乱しており、近年の日本の道徳崩壊は記録的な勢いで衰退しているとも言われているとか。「女性に心臓マッサージをしたら性犯罪で逮捕された」などという性倫理にまつわる情報なども多く観測されるようになり、今や「社会単位」から「個人単位」で人間不信が加速するという実情が急激に社会問題化しているそうです。騒ぎ散らかした当人は当事者を放置して情報の放火と鎮火にいそしんでいるとかで、もう倫理観の方が高値で取引できそうなレベルになってきたとか犬も食わないレベルの痴話喧嘩というそんな話らしいですが。21世紀という未来はもっと未来的な世界が広がっていると20世紀のクリエイターは想像を巡らせたという話ですが、現実の21世紀は正反対の方向に振り切っているので「20世紀のクリエイターたちに土下座を要求されるレベル」で世界は退廃的な道をたどっています。もうどうなってもいいや、というか何というか。
世界がどういう未来を辿っていくかは予想できない側面も多くありますが、インターネットという機能が維持されている間はこうして多くの情報を観測できそうです。ただ、圧倒的に「欲しくない情報」の方が物量過多であり、「闇の深い情報」のほうが検索上位に入るような未来しか観測できなさそうで色々とモヤモヤしています。「知性を持った人間が解決できない問題はない」とかつての歴史からも多くの英雄譚が紡がれてきたわけですが、まさかその「真の黒幕」が「知性をもった人間」という「同族」だとは思わないじゃないですか。これから私たちは正義や倫理のハイパーインフレを観測することをどう受け入れれば良いのかと不安と困惑でどうかしてしまいそうです。



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