SNSが一般化著しい昨今とは、情報の多くがSNSへの一般参加者によって拡散されるという情報伝達形態が確立しつつある昨今のこと。情報伝達は仲介者であるメディアから一般参加者へとシフトが進みつつあり、その速達性は直接的に当事者から発信されることから加速度的に速達化されてきた反面で、信憑性や整合性などの面で疑問符が残る形で伝達されるケースも増えてきたという側面を抱えています。正しいか否かという判断がダイレクトに第三者に求められる昨今の伝達ケースはフェイクやデマの拡散にも一役買ってしまうという諸刃の剣になりつつあり、ユーザーにはより多くの情報処理能力を求められるという事態が身近になりつつあるという側面をも内包しています。これはどういうことか。
ユーザーのなかには当然のように情報を分析するユーザーもいるし、鵜呑みにするユーザーもいる。また、それらは順を追うことなくユーザー単位のシフトで拡散の判断が成されており、そこに整合性や正当性などの分析情報は必ずしも中立性のあるものとは限らない。また、受け取ったユーザーもその情報に主観等の追加情報を付与しないとも限らない。情報社会化が加速度的に進み情報量が激増した昨今に必要なものは多いが、特筆すべき上位は分析力ではないかと推測されます。そして、分析に応じた行動力に尽きるのではないか…と結論付けたい次第です。
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現代情報社会を生き抜くに於いて、情報取得に係る能力は非常に重要な問題であると考えられます。ただ、おそらくは人間の脳よりも密度の高いインターネット上に集約された情報量は扱うに難しく、その一部の理解の及ぶ部分を切り取って使う程度にしか扱えないのが事実だったりします。SNSに参加する参加者は玉石混交であり、その世界のプロフェッショナルも多く含まれているかなりボーダーレスな世界でもあり、もちろんその逆位置には私たちのような正真正銘の一般人も含まれているわけで…SNSとはそもそもフトコロの広い世界でもあったりします。SNSで世界が変わる可能性もありますが、それは必ずしも良い方向であるとは限らない…それはある種の共通認識として持っておきたいものであると考えています。
そんなSNSは理想郷と呼べるような情報ネットワークではなく、どちらかといえば相互監視社会的なディストピアだったというのが何故かしっくり来たりする。その多くの理由はフェイクニュースやデマ拡散、偏向的情報の拡散やそれに類する私怨の感情などなど…とりわけ非好意的な感情が多いように感じている。拡散されるのはポジティブなニュースよりもネガティブなニュースが多く、好意的拡散事案よりも炎上的ネガティブニュースの拡散のほうが目につきやすく、そちらの方が格段に拡散力が高い様子がうかがえる。さながら「世界は知らなくて良いことを知りすぎてしまった」とでも言うようなメッセージ性を感じさせるエピソードが多いように感じてしまうあたりに、もっとドロドロした暗黒面を感じずには居られない空気を感じてしまう。
そんな混沌の極みとも言えるSNSに今日もログインし、何となく情報を物色する日々は今日もまた続いているわけで…私たちはこれからSNSとどう付き合っていけば良いのかというものについて感がなくてはならないと強く感じているものの、好きな情報の類を適当に取捨選択して日々を過ごしている次第であり…食べ物の好き嫌いを克服する感覚でもって情報ジャンルの好き嫌いもまた克服対象ではないかと考えている次第であったりします。若年層はもっと政治経済に関心を持った発言をしても問題無いし、高齢層が先進技術についての発言をしても何ら問題も無い…そもそも発言の混沌世界こそがSNSであり交錯する情報社会の概念でもあるわけなので、私たちはもっと発言をすることを求めていった方が良いのかもしれません。
ただ、肝に銘じておくべきは「発言の撤回は出来ない」ということ。この瞬間にうっかり発言したテキストはおおよそ瞬時にどこかのログベースに集約されているという話であり、時間を巻き戻して無かったことにするということは人間の技術界隈では不可能であり、要約すると「うっかりな発言にはせいぜい気をつけろ」という話であったりする類の話であるわけです。おおよそチラシの裏の罵詈雑言の掃き溜め的な発言にすらあなたは責任を持てるか? という話は本当に理不尽にも感じるもののSNSの宿命的な部分であったりするので…私たちは本当に言葉についてもっと考えながら発言していく必要に迫られている次第だったりします。そして、世の中にはそういった発言のボヤに焚き付けることが好きでたまらない人が一定数いるという話…あとはおおよそ想像の範疇に収まる話です。お察し。
現代病のひとつとして「SNS依存」は確実にあると云われているそうですが、おおよそ某巨大掲示板がよりフランクに利用できるとイメージすればなんとなくそのイメージがつかめそうな昨今のSNSの話。心を病んだらSNSから距離を置く…というのが精神医療の選択肢のひとつにカウントされているという話はわりと現実味のある有効策である、というのはある種の皮肉か何かなのか…。SNSは人の闇をこうも簡単に暴いてしまった、知ると知らずの境界線のどちら側に足を踏み込むか…私たちの日常は混沌極まりない情報の濁流に委ねられているのかもしれません。ある意味、もっとも身近にあるパンドラボックスが昨今のSNSなのかもしれません。


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