今更言うのもおかしな話ですが、「過去は変えることが出来ない」という大前提条件が通じない話が最近多くなってしまったように感じてしまうのは不思議な既視感に思えてしまって困っています。「過去はもう変えられない、だから未来を良くしていこう」というのが昨今云われ続けている「未来志向」のはずなのだけど、「過去は変わることはない、だからあなたたちは未来永劫謝罪と賠償を続ける義務がある」という理屈をぶっ込んでくる人は少なからず居るという話でもあり、色々と思わされてしまう部分でもあるのですが…少なくともこれは「理屈は曲解される」という欲しくもない好例になってしまったように思ったりするわけで、これからはもっと多くの事を学んでいくしかないと心に誓うきっかけにもなりました。学ばない人は未来永劫学ぶことをしないような気もしますが。
昨今の「あの頃は良かった節」は随分と聞く機会が増えてしまったように思います。ここ数年くらいの時代の闇が色々とそうさせるのかもしれませんが、そもそもその辺の暗黒世界はおおよそTwitter各種に代表されるSNSによって暴露されてしまっただけではないか…と思うことも増えてしまったように思います。知らない事が無いくらいにウェブのデータは集約され、肥大化した大量の無駄知識が検索エンジンによって極めて詳細にインデックス化された結果…「色々な情報が都合良く解釈された状態で引用されるようになった」とでも云うか何というか。今現在必要とされているのは間違い無く「フェイクを見抜くだけの頭脳」と「フェイクをフェイクと言い切れるだけの影響力」ではないかと考えているのですが、どれほどの人がそれを認識しているかという話…非常に難しい話だと思う次第です。
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精神的に余裕がない時に勧められるのが「SNSからの距離置き」というのが昨今の心の闇を反映させているようにも思えてしまう昨今のネット事情、今や情報収集のための必須ツールであるSNSがチラシの裏の罵詈雑言の掃き溜めになってもいるという現実…私たちはもっと認識する必要があり、適度に距離を保つ必要があることを求められているのかもしれません。少なくとも精神衛生上によろしくないと真っ先に指摘される程度にストレスが沈殿しているこの界隈、もしかしたらアンダーグラウンドといわれていた某巨大掲示板よりも混沌度としては高いのかもしれません。欲する情報を貪るためにストレスの海に飛び込むことは…嗜む程度の頻度にするべきなのかもしれませんが、この情報無間地獄ともいえる昨今にそれは可能なのかどうか。
「あの頃を振り返る話題」にはおおよそフィルターの類が掛けられており、美化された話や有耶無耶になった闇の部分などがおおよそフィルタリングされているように思うことがあります。問題は「既知や未知に関わらず噛みつく人間が一定数いる」ということであり、知らないが故に鵜呑みにする事案や、知っているからこそとばかりに噛みつく事案がこれもまた一定数発生しているという話。火遊びが好きな人は必ず一定数居るという話はどうやらネット事情にも当てはまるようで、炎上案件に燃料を注ぐ人もまた…一定数確実に居るという話。部分的にフィルタリングすればおおよそ見ずに済むとはいえ、これらのために削がれるリソースもかなり大きなものであり…もう一定周期で「断食」ならぬ「断SNS」は必要なのかもしれません。
明るい思い出はだいたい美化される、暗い思い出はだいたい闇堕ちする…というのはおおよそ人間の記憶の決まり事みたいな話で、脳がストレス保身のために出す定型句のようなものだと思うようにしています。どの思い出も生きる上で糧にするものであり、そこから学び得るものはあるものだと…思いたいし、そう考えて今後の糧にすることが人間社会で生きていく上で絶対的に必要なことであると考えている訳です。
記憶は脚色されていくものだし、個人が生きる上での多少の記憶の脚色は…ある種の必要悪である、くらいに考えている部分ではあります。ただし、脚色・誇張・虚偽の類は個人の脳内では必要な措置であったとしても公の空間にて発言して良いものではない…というのは少なくとも多くの人に認識・共有していただきたいと願って止まない次第です。嘘は何万回唱えても嘘であることに変わりは無いし、事実と嘘が接触することによって発生する痛みや混乱の方が重篤な問題であるのではないでしょうか?
すべての事案が真実のみで語られることも相応に苦痛を伴うものでもありますが、真実と虚偽が錯綜することによる怪我のほうが重篤な問題になり得ると…私は思う次第です。
顔の見えないコミュニティが当たり前になりつつある昨今に於いて、名前や存在と紐付けられる「信用」とは情報社会に於ける「絶対的財産」であり、信用の失墜は「社会的な死」である。…という結論付けは映画のワンシーンにありそうなセリフですが、格付情報に色々左右されて生きている私たちはおおよそそれに当てはまっている訳であり、願わくばできる限り誠実に生きていきたいと思うばかりであります。


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