夢のある嘘記事とは本当に矛盾に満ちた話ですが、昨今の虚構な記事というものが本当に世界を混沌の渦にたたき込むレベルのアレなのでもっと日々が誠実なものであって欲しいと願うばかりです。きっと誠実な日々の一瞬のおふざけは多分「それなりに笑いのある一日」として機能すると思うのです。ただ、ここで発表した嘘が巡り巡って事実になるという話も少なからず存在しており、嘘記事による疑心暗鬼な気持ちは普通に延々と引っ張ってしまう事案なので、そもそもこんな日を設定するのが色々語弊やら何やらがあるので、本心で言うと「こんな一日はなくなってしまえば良い」というのが本心オブ本心です。
おおよそ「どこまでがネタで、どこまでが本気なのか」を勘ぐりあうようなイベントにしたいというのが多数派なんでしょうが、とりあえず見え透いた嘘でもって笑いを誘うような一日であって欲しいと願うばかりの一日です。この嘘記事が翌日に肯定されるか否定されるかで人生が激変する人が少なからず居る社会というのはあまり精神衛生上よろしくないのではないかと思うのです。しかし、それが世界規模のイベントとして認識されてしまっている部分を肯定するのであれば、せめて「笑い飛ばせる嘘にあふれた優しい世界であって欲しい」と願うばかりです。昨今の世界はあふれるほどの物量の嘘によって破壊されてしまった部位が多すぎて確実に笑えるネタにしかならない嘘以外だとおおよそ誰かが重篤な傷を負ってしまう世界に成り果ててしまい、この日をネタとして受け入れられなくなっている人々は確実に増えてしまっているので…。
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それほどまでに余裕のなくなってしまった世界で生きていくに当たって、このような日は必要か否かという話をするのはおおよそ無粋の骨頂だと思うのですが、本当に世界から精神的余裕は駆逐されつつある現状から24時間も目をそらし続けるのはある種の危険であり、この日に予想されるであろう見え透いた嘘によって「悪意ある嘘の連鎖」が拡散することを想定せざるを得ない社会である現代社会は「本当にこの日を受け入れて良いのか」という疑念を抱かざるを得ない状況です。それほどまでにフェイクの蔓延した社会に「24時間ものエイプリルフールという時間」が必要なネタとしてあって良いのか、本当に今という瞬間はこんなどうでも良いことを真剣に考えなくてはならなくなってしまったクソ社会であり、嘘の日限定の嘘規制を敷く必要があったりする世界なので、とりあえず今日という一日は迂闊にもニュースを見ないように過ごそうと思っている次第です。
今、最も受け入れられないのは「21世紀は夢のある未来社会になる」という語り草のような話です。嘘として24時間限定でも受け入れられない事案であり、現在進行形の世界そのものであるという話。「嘘が100回通れば真実になる」というのであればこの事案について語って欲しいくらいですが、この事案こそが世界で一番信憑性を欠いた現実世界に横たわる問題であり、おそらくは誰もが誰かに押しつけるであろう無理難題だと思う次第です。数十年前に多くの人が抱いた夢物語の世界を虚構の世界のフィクションで終わらせたくないのですが、そのような意思を持った人が数えられる程度しか存在しないであろうという実数の統計が色々と現実逃避のネタを提供してくれる都合、多くの人がこの「嘘の祭典を呪わずには居られない」という話。おそらく、今を生きている人たちが死ぬまでの間ずっと持ち続けるであろうモヤモヤした感情をこの日だけでも全力否定したい。
多すぎる嘘によって傷つきすぎた世界に於いて、この日の嘘だけが癒やしのネタになるという事実があるのなら、それは歴史的な皮肉ではないか。今日という日を笑い飛ばして過ごそうと心に決めるも、今日という日にどんな嘘が飛び出してくるのかという気持ちで戦々恐々としている中の人ですが、一年で一番SAN値が削られる日に正気を保つ自身はほぼ皆無だったりするので、早く今日という日が終わって欲しい。早く終わって欲しい。早く終わって欲しい。



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