検索上位を鵜呑みにして失敗するという事案が増えてきているという噂を聞く機会が増えたように思いますが、この事案そのものはアルゴリズム変更などの際に定期的に聞く事案であり、昨今そういう事案があったかどうかを確認するまでもなく最近の「検索での失敗談」は「検索上位を疑わないこと」に起因しているという話だったようで、どうやら最近のユーザー事情は「検索上位=正確な情報」という誤認にあるという話だったようでした。Twitterなどで定期的に発見されるバカッター事案とおおよそ同類のトラブルのようで、昨今はショップサイトや個人ブログなどのレビュー記事で定期事案になっているとのことでした。「主観の塊たる個人の感想」なので玉石混交の地雷要素なのですが、検索上位やリツイートで鵜呑みにする事案はまだまだ多いという話らしく。
あくまで参考要素でありながら「全部を鵜呑みにする程度」という問題は、昨今拡大の一途を辿っていると聞きます。なぜユーザーは考えることをやめてしまったのかということについては色々と考える節もあるのですが、そもそもインターネット界隈の情報のどこに確証を求めているのかという話であり、この胡散臭いインターネット界隈の情報を3秒で鵜呑みにする理由がそもそもおかしいのではないかという話。かつて掲示板の情報をどの程度信じたかという話の根拠でもあった有象無象の情報事情がなぜ逆転現象を起こして与信マークを付けられているのか、今更この件について考える羽目になるとは、私たちの判断力はどこまで低下を余儀なくされるのか。
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検索エンジンの上位に食い込む記事の理由はいくつかあるのですが、ひとつは広告としての上位表示。あとは検索語句とのマッチングと被アクセス情報などを加味した検索エンジンの判断ということになるのですが、昨今は「バズ」による急激な注目度の推移などが突発的に検索上位に来ることが定期で発生しています。いわゆるSNSの拡散効果による弊害にも当たる部分なのですが、これがどうやら「事実誤認のひとつ」になっているというのが噂の真相のようでして。検索エンジンが初期動作として「注目度の急変」を捉えることによる一時的な検索上位表示らしいのですが、偶然にもそれに遭遇したユーザーが「信用ある情報という誤認」をすることによって拡散するメカニズムのようです。特に集中的に検索されなければ修正されるというケースの事案らしいのですが、検索エンジンの仕様上で完全に排除することはそもそも困難らしいという話の様子。
時短至上主義的な考え方の蔓延
多くのシーンに於いて「時短・効率化」が叫ばれているといわれている一連の話の多くが、「習熟不足によるトラブル」の温床になっているという話。適切に学ぶには適切な時間と労力、それ相応の理解が必要という話に帰結しており、昨今は「時短習熟による二次問題」を引き起こしているという話が散見されるようになった。「急がば回れ」の典型的問題として挙げられるケースもあるという。
注目に釣られる野次馬の如く「釣られたユーザー」がどういう行動に出るか。それは検索エンジンにはわからない話であり、あくまで検索エンジンは情報の収集と分析のみにしか触れられないという話。フェイクニュースの拡散によって惨劇が起きた例も複数あることから情報の取扱いには熟考を求められてはいるものの、それはあくまで個人の判断の範疇という話。実際に拡散される情報というものは何の整合性判断もなく無作為に拡散されるものであり、そこに根拠や善悪の判断基準なんてものは基本的に存在しません。情報はあくまで情報語句の羅列であり、言葉の受け取り手によって解釈はいくらでも変化するという話でしかないので、ネット上に氾濫する情報の羅列は「有象無象の罵詈雑言」くらいに受け止めて、相応に考えながら取捨選択をするしかないというのが実情です。
憂慮するべきは「思考放棄」ともいえる「検索上位至上主義な思考」です。たまた検索したタイミングで上位に来た検索情報を鵜呑みにしてしまったために混乱や悲劇が起こるというのは昨今の共通認識になりつつありますが、それでも検索上位に来る理由とメカニズムについてはあまり認識がなく、多くの検索結果があるからというだけの理由で上位にある情報を鵜呑みにしてしまうという事例は今なお尽きない問題として横たわっています。果てしなく続くアルゴリズム変更によって精度は向上しつつあるとはいえ確実とは言い難い情報を「上位にあるから」という理由だけで信じてしまうのは極めてハイリスクな判断であると言わざるを得ません。情報分析には相応の理由と前提条件があり、それらの順序を踏むことによって正確性のある情報に至るという部分を何故「すっ飛ばしてしまう」のか。それが昨今の検索依存の弊害であるのであれば、私たちに無用の規制網を張られてしまうなんてことが発生しないとも限りません。検索エンジンによる集合知が人間個人の思考を奪った、なんて事になったりすれば、人類は情報集積の利用によって退化しているという事例のひとつになってしまうのではないかという馬鹿話がまかり通ってしまうことになります。
検索エンジンの基本的アルゴリズム
検索上位に来る記事や情報の多くは「どれだけ検索されたか」という情報量に基づいて算出されており、それらを複数の検索ワードの量や関連性に基づいてランク付けされる形で表示される。検索広告については、出稿料などによってスポンサー表示枠の順位付けが行われ表示される。純粋な検索上位よりスポンサー表示枠の方が上位に来ることが多いため、信じてクリックした記事が単なる広告記事だったという事例も多く、結局の所は「どの程度の妥当性があるか」は利用者の判断に委ねられる。
昨今は「スマホを持たない人がいない」とまで言われ、とりあえずネットに繋ぎ検索することで事態の解決を図る人が圧倒的多数を占めてきたという話。それにより「体験や経験を通過する」という事案は多くなったと言います。それ自体は悪いことではなく「事前知識が有効活用されている」という認識でもって良い判断であると結論付ける事も出来ます。ただ、結果に至る過程が軽視されることによる不測の事態への思慮が欠けていくという側面については、私たちは敢えて首を突っ込んででも知る必要があると考えます。云うならば「思考のワクチン」であり、「必要な失敗体験」とでも言いますか。結果至上主義的な考え方が当たり前のようになり、最短での結果を急ぐがために課程の何たるかが知られていないという事実は、効率化という名目のためにある程度は必要とはいえハイリスクな行為であり、「何故という因果関係を知る必要」についてはこれから特に定期的に学ぶ必要があると提案したい次第です。昨今計上されている労災事故の半分くらいが予測可能な回避可能事案であったというデータからも、「課程のメカニズムについて」もっと考える必要があるのではないか。検索結果の鵜呑みはおおよそその縮図になりつつあるという根拠にもなり得る話であり、「考える習慣」について改めて提唱したいと考える昨今です。
もっとも、その提唱は「敢えて再提唱する必要の無い事案」であることは明白であり、憂慮すべくは「考えることをやめてしまった検索依存の実情」なのですが。ググって解決という昨今の潮流はどこまで私たちの思考を退化させるのか、今になって考えるチカラというものが問われるようになったのは何の皮肉なのか、私たちは人工知能たちによって「試されている」のかもしれません。「人々のために作られた叡智」に「人々がデータ収集の材料にされる」とはこれ如何に、どっちが試験管のモルモットなのかは永遠に触れてはならないパンドラの箱という話。



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