ゲームが牽引する技術革新

日記・雑記・私的話題

「ゲームという娯楽が実は情報技術産業を牽引している」という話はちょっと飛躍しすぎた話のようにも聞こえるのですが、昨今のeスポーツという新しいゲームとの向き合い方は昨今のゲーミングパソコンに大きな影響を与えているという話があり、最新のリアルタイム処理技術などがふんだんに取り入れられているという話はなかなか興味深く耳を傾けている次第です。大雑把に「ゲーム」と云われてどんなイメージを膨らませるかは人それぞれですが、昨今はリアルに描画された世界を縦横無尽に駆け巡るが注目を得ており、複数人による対戦バトルゲームが熱いという話をよく聞きます。その「仮想世界の描画技術」が実は最新鋭のグラフィック技術であり、それは現実世界の技術革新より先にゲームの世界を豊かにしているという話がなかなか興味深く、「遊びによる技術の劇的更新」という切り口に深く注目している次第です。「遊びは技術によってクリエイトされる」というのがなかなか面白いと思うのです。

それはパソコン市場に於けるパソコン構成の変化がおおよその現状を物語っており、ビジネスを基軸としたパソコンは「堅牢かつ高効率」を突き詰めており、ゲームを追い求めたパソコンは「無尽蔵のエネルギー」へと舵取りをしているとか。1000ドルオーバーの高級パーツの用途が「1秒を追いかけるゲームの世界の描画のため」というのは現実世界でありながら仮想世界の夢の追求に振り向けられており、仮想世界の頂点を目指す人々の羨望の対象となっているというのはなかなかバブリーな話ではあるものの夢をはらんだ話だと思って聞いている次第です。やはりイノベーションと呼ばれるエネルギーは人海戦術的な人的エネルギーによって構成され、夢と幻想の世界は現実世界の技術によって資源が採掘されるという世界は数年前のマイニング需要を連想させますが、夢の技術というのは夢が織りなす無限の可能性によって構築されるモノなのかなと想像してしまいます。

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ここ数年の技術革新はあまり大々的なアップデートは少なかったようにも思いますが、確実に技術的なものは更新され、それらは基幹技術の押し上げに貢献していると聞きます。ただ、その用途や形式は確実に差別化された形で進化を遂げていると聞き、ビジネスモバイルの系列は「堅牢かつ高効率」を追求した高耐久ノートパソコンへと連なっていき、ゲーミングパソコンは「一分一秒を切り詰める高速処理の追求」が進んでいるという話で、とりわけビデオカードに連なる技術が加速度的に躍進したという話のようです。ノートパソコン市場は昨今「リサイクルPC」が強く注目され数年前のパソコンがキレイになって出荷されているという話ですが、裏を返せば「求められるスペックは数年前基準でも何とかなる」という裏打ちであり、OSとバッテリーがスッキリした過去のパソコンが普通にビジネスシーンで使われているという状況が発生しているとか何とかで、ビジネスに於ける技術革新はあまり求められていないような印象を受けました。より「適材適所が突き詰められた」形に落ち着いたように思う次第です。

パソコンに対するイメージがどう変化していったかは人それぞれですが、かつてパソコンといえば「未来技術の集積」の象徴であり、多くの未来的な仕組みを作り出す創造物だったように思います。家庭用ゲーム機の系譜が80年代からはじまっていると言われているのであればその系譜はやはりファミコンから始まっており、いつの間にか「技術の系譜と遊びの系譜が同一ラインで生産されている」という不思議な構造が出来上がっていったのかもしれません。いくつかの家庭用ゲーム機の技術更新を経て現在はその一角にゲーミングパソコンが食い込んできた形になっているようですが、私たちの生活に加わった技術のなかにはゲーム機発祥の技術はいくつも取り入れられており、そう考えると私たちの生活はとても「ゲーム的な生活様式」に落ち着いているのかもしれません。かつて「携帯電話」と呼ばれたスマートフォンで「ゲームを持ち歩く」という生活形態は10年くらい前では想像出来ない光景だったので、やはり中核技術の一部はゲームが牽引しているというのは意外と間違った指摘ではないのかもしれません。

「eスポーツがスポーツではない」という意見も散見され議論が交わされているようですが、少なくとも「肉体の限界に挑む、ルールに沿ったゲーム」という解釈をすればスポーツもeスポーツも同じゲームなのかもしれません。スポーツとして肉体改造してまでその競技に人生を捧げるという過酷なルートをなぞらえなくても「スポーツの意義と意味合い、それらから得られる教訓や体験を得られる」という認識であればスポーツの定義もまた変わってくるかもしれず、それは「経験則としての疑似体験学習」と捉えられるかもしれません。それらを踏まえて考察するのであれば「ゲームは娯楽の域を超えた学習機器」にもなり得るはずであり、既存のゲームのイメージや概念を覆すこともできると思う次第です。人生経験を豊かにするツールが1000ドルくらいのパソコンから得られるというのであれば、それはとても有意義であり、そのボックスの中には無限の可能性が詰まっているといっても過言ではないと思うのです。私たちの価値感覚は数年単位でアップデートを迫られるほど激しい変化を繰り返す社会に生きている都合、こういった考え方と体験の獲得はある種の「必然」なのかもしれません。

スマートフォン界隈にも「ゲーミングスマホ」というジャンルが出来上がりつつあるという話であり、よりリッチなゲーム環境を提供するスマートフォンが求められているという話も聞きます。その未来予想図がどうなるかはまだ未知数ですが、私たち2020年を生きる人々にとってのスマートフォンは「仮想体験の玄関口としてのツール」という半世紀ほど前の夢物語を体験しているのかもしれません。もっとも、ゲームとの向き合い方についてはまだまだ「過渡期の初期段階」ともいえるほど浅い状態であるという認識で、ゲームとの向き合い方の確立にはまだまだ至っていない部分も多々あるという話のようですが、それでもゲームというツールによって私たちは「手の届かない体験を至近距離で疑似体験出来る」という環境を手に入れたのは間違いないと思う次第で、私たちはもっとゲームについて語り合う時間的余裕を持つべきではないかと思ったりする次第だったりします。

今でもゲームについてはあまり良い印象が持たれていないという話は定期的に耳にしますし、ゲーム依存というある種の習慣病について考える機会も増えました。それでも私たちはこれらゲームという仕組みについて考え、それらと適切に向き合っていくことについて考えなくてはならないと思っている次第です。今となってはゲーム業界は「いち産業として確立された世界」であり「確立された娯楽世界」であり、それでいて「技術革新と紐付いている学習機器」でもあり「未来のために必要な情報端末」でもあるという話。パソコンにとどまらずスマートフォンなどの情報端末と向き合うためにもある程度のゲーム要素は必要なものであり、その基幹技術の更新のためにもゲームは必要かという話は…これからも末永く議論するべき問題になるかもしれません。私たち人間の人生もまた「神様の創作したロールプレイングゲーム」であるかもしれず、人生もまたいくつものルールのうえに出来上がったゲームシステムのひとつと考えるのであれば、私たちは間違いなく「人生ゲームという惑星内参加型のゲームの参加者」であり、ゲームについて考えないという選択は出来ない場所に生きている生命体であると思う次第です。

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