ぼくたちがリメイク

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「過去をテーマにする作品」は定期的に私たちの時系列を賑わいへと誘ってくれるように思いますが、やはり「過去は変える事が出来ないからこそ未来への思いを馳せることが出来る」というのは永遠のテーマのようにも思えてしまいます。もしも自身が過去に戻って人生のやり直しが出来るのであれば…思うところは色々ありますが、それらの痛い経験が無いとそういう悔いる気持ちに心が届かないものでして、多分自分は同じ過ちに翻弄されるのではないかと思ってしまう次第です。持論としては「過去は悔いるものだが、その過去がなければ悔いることも叶わない」というのが根底にあり、「昇華出来ない過去こそ悔いるものである」という感じになっています。もしも、ワガママ感覚で人生をやり直せるのであれば…平成時代という約30年間をやり直したいです。

日本で云う平成の時代とは高高度情報化社会の形成期であり、情報と共に社会構造が再形成を迫られた時代だと考えている次第です。平成の時代にもてはやされた所有欲の類は情報化の進展と共に後退し、それは体験共有という形へと変化したように思います。あの当時は「若者の○○離れ」と揶揄されていろいろと苦い思いもしましたが、急激にモノが陳腐化する社会に於いて「所有することの価値変化」にはもっと注目して欲しかったと思う次第です。もっと前、昭和の時代に於いては「所有することがステータス」だったものはいくつもありますが、時代が不況に転じて所有が負担になったときに「その所有物の価値について再考する」というフラグが立ったことには多くが触れられてなかったように思います。生産系の分野では今でも物議に上がる「○○離れに対してどう攻めるか」という議題ですが、特に工業生産品に於いては魅力追求型と機能本位型の二極化が激しく、私たちが過去でやり直したいことはやはり「もっと多くの議論機会」だったのかもしれないと思った次第です。

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私が平成の時代の中でもっとも熱量を注いだものの中に「自作パソコン」があります。工業系を専攻した自身にとっては組み立て式のパソコンはおおよそ興味関心を注がれる対象でしたが、あれから20年ほど経った昨今では「おおよそ文房具の延長線上くらいの日用雑貨」的なポジションに落ち着いてしまったように思います。一部の趣味界隈の人が新技術を導入したパーツを買い漁るくらいの認識になってしまったのが昨今の自作パソコン界隈の話のようですが、飽くなきテクノロジーの進化を紐解くと…色々な人々の試行錯誤の逸話が出てきて興味深い話がどんどん進みます。今となってはその基幹技術の話など何の話題性も引き出せない程度に日用品化が進んでしまったパソコンですが、工業製品の至上はやはり「日常生活との緩やかな融合」であるとも思うので…それはある意味理想の一角として成立している部分ではあります。卓越したテクノロジーの凝縮機器であるスマホが生活の一部になったように。

スマホの高性能化と廉価化の恩恵の多くは中国からもたらされたと言われています。10年くらい前は忌避されるくらいだった中国製の情報端末が、現在では最新技術の生産拠点として中国が今でも多く指定されているという話。現在になってようやく「中国離れが進んできた」という話ですが、その理由は「中国市場の人件費高騰」という話であり、今となっては「日本の人件費の方が中国での人件費より相対的に安くなってきている」というのはかなり皮肉がこもっているように思います。あれだけ「安かろう悪かろう」と叩いてきた中国製スマホですが、今となってはどれだけのスマホ端末が中国で生産されているかという話であり…生産界隈では今でも皮肉を込めたネタのひとつとして語り草になっていたりします。パソコンの自作も然りでして、メモリを差せばブルースクリーンなんて事は日常でしたが、昨今はパーツ交換でも相性問題を引き起こすことはほとんど無くなりました。

過去を鑑みて今をやり直せるなら、というのであれば。是非とも中国生産の情報機器端末やら何やらの一元生産をやり直したい、というのが自分の中にあります。創作作品の中だけでも「日本の生産拠点的な世界」というのは描いてみたいと思っている次第で、それこそ技術的なものとインフラ的な理由を考えれば昨今の中国生産よりも「良いとこ取りした生産性」が出るのではないかと考える次第です。日本企業の多くが「人件費を負担コスト」として捉えていたことが昨今の大リストラ時代を作ってきたという話なので、大企業が多大な法人税の「節税対策として情報機器生産に投資する」くらいの緩やかな投資感ある社会なら…もしかしたらそういう世界線があったかもしれない、という話です。日本経済が法人企業と雇用されている個人で動いていた訳なので、未来を生きてきた投資家や資本家などが技術者と結託して過去転生できれば…という話は結構熱くなる話のように思えるのですが、ワンチャンあるでしょうか? 個人的には「停滞期に入ってきた中国資本の生産を分捕るニッポン・サクセスストーリー」は非常にアレな内容とは云えど「有り得る話になるのではないか」と推測している次第です。

日本に於ける価値観論には諸説あるわけですが、日本に於ける平成の時代は「モノへの執着」を維持しつつも「変化を拒んできた」という実情がありました。著作権保護という名目でCCCDとかいう「読み込めないCD」を掴まされたり、MDの権利保護で大揉めしている間にMP3と共にやってきたiPodに音楽界隈を食い尽くされたり。あまつさえコピーワンスとかいう録画規制ともいえる枠組みで大混乱をしているうちに録画したくなるようなコンテンツが全滅を余儀なくされていたり…いろんなコンテンツ界隈を見てきましたが、日本に於けるコンテンツ界隈は迅速かつ柔軟な変革を拒否したために多くの損益を余儀なくされてきたという話であふれていました。ようやくそれなりに柔軟性を獲得してきた日本のコンテンツ界隈がもう一度やり直せるのなら、そこに多くのドラマやサクセスストーリーが生まれるかもしれません。もっとも平成の30年をやり直すことは出来ませんが、令和のメディア界隈に賑わいを取り戻す30年には出来るのではないかと思って止みません。「躊躇こそが最大の損益」とは情報化が劇的に進んだ昨今だからこそ言い得る話ですが、日本の技術に中国並みの即断と行動力があれば…今からでも間に合う可能性はあるかもと思う次第です。

個人の戯れ言ではありますが、日本は「失敗を延々と言及し続ける」という社会風潮があり、「失敗の許されない社会」であるとも揶揄されているとか。それでいて失敗しない人間はいないという話であり、多くの先人の失敗がフィードバックとして生かされているわけですが、そのフィードバックの「現代版」が未だに現れてくれないのは「新しい失敗を恐れる姿そのものの反映された姿」なのかもしれません。平成時代に翻弄された世代はもうそろそろ引退を迫られる年頃になる頃合いですが、このまま後の世代に再び30年規模の翻弄を与えるわけにはいかず…私たちがすべきことは何なのか。少なくとも、あの頃の苦労を後の世代にも味わえというようなものではなく。失敗を教訓にするメカニズムはもっと研究され後世に継がれて欲しいものなのですが、失敗を恐れ行動を制限する間はこの重荷に苛まれる日々が続くかもしれませんが。願わくば「過去からやり直したくない社会の形成」に一役買える存在を、目指したい。

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