労働界隈が空前の人手不足といわれて久しくなってきましたが、「人的資源となるはずの人材を切り捨て続けてしまった結果が実を結んだ結果ではないか」という話に帰結しているという話を多く観測するようになりました。実際に空前の人手不足になる前に「空前の人材の使い捨て」が横行した経緯があり、その隠れ蓑として派遣制度や外国人就労制度などがあったという話に端を発し、年単位の時間を経てそれが結果として帰結したという話になっているようで就職氷河期世代が激昂しているという話ですが、それだけ人材資源をコストとしてしか認識していなかった経営者たちの「来たるべくしてきた結果論」だと指摘する声もあるようです。誰もが短期的な経済情報で判断せざるを得なかった時代背景もあったかもしれませんが、誰しもが長期的視点に切り替えきれなかった側面が影を落とした部分は大きいものと思われる次第です。
結果として、企業収益上では「景気回復」と言われていながら「現場崩壊が常態化する」という実情を抱えて「最悪の事態を迎える」企業はかなりの数に至っており、今後はもっと多くの企業が転落に転じるのではないかと言われています。昨今の企業内人災の多くが経験不足や教育不足などによる初歩的なトラブルに端を発していると言われており、これらは特に人的不足を抱える生産系・物流系現場に頻発傾向にあります。これらはノルマ主義に追われ続けた「現場の終着駅」と揶揄されているともいわれており、今後更なる深刻化が指摘されています。背景には、本来現場指導や教育分野に当たるはずの人材欠損があり、それを無理矢理補填要員で穴埋めする自転車操業の常態化が背景にあります。「日本クオリティ」は事実上の喪失危機に晒されており、今後は日本の基幹産業分野でもこのような事態が発生するかもしれないと戦々恐々の現場事情があるようですが、未だに経営陣と現場陣営との思考の乖離は続いており、今後は国内経済含め多くの産業や事業が空中分解する可能性が指摘されているとか何とか。
スポンサーリンク
「日本の空洞化が進んでいる」という表現でこのような事態を表現する人がいるようですが、その指摘は的を射ており、この時間軸上で社会現場の中核を担うはずだった中間世代がかつてない不足状態に陥っているという実情があります。「失われた30年」といわれた時期がそのまま当てはまるのであれば、日本の教育水準は30年間の後退を余儀なくされたことになってしまいますが、基礎教育や道徳的思考にはじまり、教育者の教育などを含めた総合的な教育指数は大きく後退したのは間違いないと思われる次第です。これに海外からの異文化流入が加わることで地域の治安が混沌化した地域もあり、今後は社会全体の治安問題が表面化するものと推測されます。そして、この教育指数の低下は今後も止まることなく続くことが想定され、これらの挽回にテコ入れをしたところでそれらが実績を上げるに至るには「世代交代が完了するまで」労力を投入し続ける必要があり、失われた30年以上かかるものと予想がされているという話。
「子育て支援」が無力化する社会情勢
「貧困による未婚率の増加」は「失われた30年」に重なっているといわれており、訪れるはずであったベビーブームを退けた主要因とも指摘されている。長すぎた貧困期の間に社会では世代交代が進んでしまい、情報化の劇的浸透も後押しする形で、地域社会や企業などでは歪な社会的乖離が進んでしまった。先行き不透明な経済的理由を背景にした未婚率の増加が止まらないため少子化対策にまつわる諸対応がはじまったが、その少子化対策の結果が出るのは「出生した世代が社会進出しない限り数値で評価されない」ため、20年や30年も支援が出来るのかという疑問が噴出している。また、その支援費用も増税で対応しようとしている国家の姿勢に対しての批判も止まらない実情がある。
最悪の事態に直結しようとしているのが「国内資産の外資保有率」の上昇であり、実質的な「経済的侵略」として機能しようとしていること。本来なら国民生活のための必須インフラを民営化に振り分けた結果、営業係数に問題のある地域が必須インフラの恩恵を得られないという状況が発生しつつあり、それが顕著化しつつあるという問題を観測するようになりました。海外資本が「日本のインフラを買収する」という問題が表面化するという懸念が「国民生活のための国家機関が国民生活のための機能を手放す」という事態が深刻化するという最悪のシナリオへの懸念が現実化する可能性を帯びてきました。単純に国家の「国民保護の意義放棄」とも取れるこれらの行為が紆余曲折を経て現実の問題になってきたのはバブル経済崩壊後の1990年代からであり、30年以上かけて国家意義を放棄してきたともいえる民営化政策のスローガンは「健全な経営体制のため」という話でしたが、国家自身が「私たちは不健全な国家運営をしてきました」とお気持ち表明してしまったという話であり、近年の日本国家の政治家は「何のための存在だったのか」と疑念と嫌悪の念を抱かざるを得ない結果となった次第です。
公的機関や公的インフラが民営化され効率化を推進する過程で「内部の浄化を図る」という目的の一端は確かに達成されましたが、そもそも内部的な腐敗要素が大量噴出しなければ回避出来たであろう話でもあり、営利企業になった公的インフラ機能は不採算要素に対して排除を行うのは至極普通の話でもあります。この「失われた30年」の間に起きた事件・事故・災害などからそれらについての指摘は度々あったにはあったのですが、それらが的を射た効果を及ぼすことはほぼ無く、結果として公的機関の人的失望に尽きる結果になってしまいました。また、急激に変化した労働事情によって「公務員を追われた」人たちを一定数発生させるに至っており、その後の労働裁判なども含め生活分野に於ける多くの部分に影を落とす結果になりました。全てに於いての最適解を出すことは不可能ですが、結果として過半数以上の国民が国営方針を信用出来なくなる程度には日本の政治不信は加速しました。
「議員選挙の出来レース化」の深刻化
SNSなどを中心に政治界隈への不信・不満の発言を多く観測するようになりましたが、結果として「仕組みとしての選挙でそれを実行できる」環境はほぼ皆無と言われている。これらの決定権は「議会内の議員の票数」で決まる仕様上、必ずしも「国民総意が反映されない仕組み」であるからであり、SNSなどでどれだけ多くの数の発言が噴出したところで「反映されない仕組み」になっていると言われている。「現代社会の仕組み上の限界」とも「政治倫理の崩壊」などとも揶揄されているが、国家の抱える諸問題を俯瞰視して決定権を行使できるだけの「人材の慢性的不足」が原因ではないかという指摘もある。有益な意見があったところで「支持されなければ反映されない」という民主主義政治の脆弱性のせいであるという指摘もあり、100年以上続いた民主主義国家構造の構造的限界ではないかという声もある。
日本社会に於いて「就職氷河期世代」の立場は「空洞化した穴の位置」の人々であり、対立した高齢層と若年層の「板挟み世代」ということになるわけですが、彼らの多くが「現場の緩衝材」になることを余儀なくされたと言われています。すり潰されてなお現場に尽力した人々のうち、かなりの数の人たちが「力尽きた」と言われており、その現場に携わった人の多くがそれらを「黙殺・封殺してきた」という背景があるようです。当該世代にしては「長すぎた30年」だったと振り返る人の方が多いといわれており、今後の日本の将来を憂う人の方が多いという実感を感じている次第です。今後の日本復興は既に前途多難を極めており、東日本大震災のあの日からその多くが未解決のまま横たわっているのが実情です。あの日起きたことは、日本が抱える多くの問題点が可視化される結果となってしまったのですが、今なお多くの人が封殺し、歪曲された事実を刷り込まれ、今なお対立関係を構築している人たちがいることはもっと認識しておきたいと思う次第です。
私たちが無意味な対立関係を構築している間に国家は好き勝手な施策を量産しているという話ですが、そろそろ「国家の意義を放棄した国営機関」には何かしらの形で責任追及しなければならないのではないかと思っている次第です。「日本の国家運営機関に『日本の事を心配し行動を起こす』人間がどのくらい存在するのか」という情報はいち早く国民に知れ渡って欲しいし、国家存続のための重要な情報であるわけで早急に公開するまでに至って欲しい。そもそも日本人のフリをした帰化議員が搾取のために日本国家を貶めているのではないかまである昨今の国会議員事情、「誰が国家を不健全化したのか」という事実追求は緊急かつ迅速に国民に開示してほしいと願って止みません。



コメント