お金持ちになる夢と課題

時事・事象・社会現象

将来の夢に描かれる未来像とは少なくとも「お金持ちになる夢」に近い職業像だったりするわけで、それが昨今だとYouTuberだったりするって言う話に帰結してしまうという何やら夢のあるような不思議な話。ただ、お金の魔力に取り憑かれてしまったユーザーには不遇な未来を余儀なくされるひとも少なからずいるわけで、「お金持ち=豊かな生活環境」という図式は少なくとも確実性を欠いたという話は予測可能回避不可能だったのかなって思ったりもしました。世の中には「貧困に喘ぐ自由」を掲げる資本家もいたりするのですが、結局のところ一億層貧困時代が来たら来たで難癖を付けることは定説として定着しており、巡り巡って「お金が人を不幸にしている」図式が変わらない昨今の日々は誰にどう説明を請えば良いのか。お金は血液のように循環して経済を成すという資本構造が伝わらなかったばかりに平成というおおよそ30年を貧困と過ごした現在の40代は心の底からむせび泣いて良いし、それによって失われた20年から30年という時代の負債を帳消しにしてもらえる権利を主張しても良いように思ったりします。

消費税の増税に沿う形で消費が冷え込んだのは昨今もっともトレンドな話になっているようですが、大規模増税も減税も「はじめからする必要が無かった」というカラクリは誰が仕掛けたものなのか。そんなこんなで私たちは貧困時代なりに明日への稼ぎを模索するわけですが、それすらも本来は徒労であるべきものだったというのは何の皮肉なのか。本業のパフォーマンスが発揮できない人間に副業のパフォーマンスが出せるかと言えば早々無理な話であり、本業の環境改善ができない状況で何故副業に舵取りをしなければならないのかというのがそもそもの諸問題なのですが、今日も怪しげな「一日に何時間○○すれば幾ら稼げる」という商材が飛ぶように捌けている実情がイタいです。実際に将来像どおりの夢で生活できる人の比率がどんどん低くなっている現状ですが、世の中には「夢でメシを食った気にさせて生きている人」は結構な数います。学ばない人の所為にする人も少なからずいますし、少々の知識があれば回避できる問題でもあったりしますが、「学ばせない人もいる」という過酷な現実はもっと知れて欲しい次第です。

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YouTuberがお金儲けする原価について聞く人が散見されますが、原価は限りなくゼロから無限大までピンからキリまで。どうでも良いことを面白おかしく料理して伝えるのが彼らの商材であり、それに対しての対価付与があるかないかが彼らの価値観そのものになっているかと思う次第です。YouTubeの仕様上、動画を介しての伝達や情報発信が基幹となるのですが、スマホひとつでもかなりの情報構成を作り上げることは出来ますし、創意工夫と肉体労働的な努力で相応にケチケチ動画を創る事も出来ます。「面白いという評価」をつけるのは第三者であり、個人の努力や裏事情は本当にどうでも良いコンテンツだったりします。面白いと感じたから投げ銭が発生したりするわけであり、それに難癖を付けるようでは少なくともYouTuberとしてはどうなのか。個人の努力や裏事情を「再調理」することも出来るわけで、それらはすべて手腕次第。何よりお金は、「与えられるもの」ではなく「循環するもの」なので、「お金の循環術を知らない」人々は無駄な努力を量産し続ける結果になるかも知れません。

さて、将来の夢がYouTuberという話に戻ると、YouTubeに於ける収益化構造が何らかの理由でもって終了した時点でその目標は消えて無くなってしまいます。YouTubeの収益化構造が金脈と言われている間はチヤホヤされるわけですが、そこにマネタイズの意図が消えて無くなった時点でYouTubeコンテンツは斜陽化が加速してしまうことでしょう。もっとも、この状況が好条件として横たわっている間はGoogleも手放すはずがないのですが、動画コンテンツには多様な権利事情が絡み合っている都合上いつまでも安泰というわけでは無いのが実情で、何かしらの変化事情があった際にGoogleが捨て去ってしまうという事態も想定できなくもありません。動画コンテンツを使った多様なアプローチでもって「動画クリエイター」を目指すのは有効だと考えられますが、YouTuberという「限定的な活動者」としては長期的には不安要素が多いものとも思えてしまいます。おそらくは現時点でもっとも情報量の多い配信手段として動画コンテンツがある都合で早々にこの状況が揺らぐとは考えにくいですが、あぐらを掻いてしまった場合には要注意になる可能性があります。何かしらの変革が伴った場合に於けるGoogleの行動速度は恐ろしく早いので、一夜にして収益化が消えるという事態は対岸の火事ではなくなるかもしれません。

そもそも将来の夢が「お金持ちになって終わり」であることも、また将来像に疑問符を投げかけるものになってしまうという話もあるのですが。それはまた別の話であり、そもそもの「お金持ちになる夢」が「叶ってからの話」という話。

30年くらい前のおおよそバブル経済の時代には夢があった、という昔話を定期的に耳にしますが、夢があったというよりは「夢が延々と数珠つなぎであった」というべきかも知れません。サクセスストーリーが長編ドラマのように長いスパンで続き、その道は比較的簡単に参加出来て、なおかつ成功率もそれなりにあったという時代だったのではないかと思う次第です。ただ、それは人生という綱渡りに於ける「安定した土台部分」を渡っていただけに過ぎず、否応でもやって来る時代の変化に流されてしまった「橋の基礎部分」なのかもしれず、言ってしまえば時代のどこかで強制的にやって来る変革の時代になってしまえばそんな夢は「ただの幻想」でしかないのかもしれません。夢というものが人生の基幹部分を構築するものだというのであれば「基礎になる部分が揺らがない夢」であることが望ましく、それは一時の富の流動に左右されないような「大黒柱のようなもの」が良いのかもしれません。しかし、夢もまた社会の評価無しには生きられない仕組みである都合、夢に賭すのか富に賭すのかは誰の尺度でも計られないものと結論付けるしかないのかもしれません。

結局のところ、生きるための富を得るために「一番効率の良い金策的地位の獲得」が将来の夢に充てられるようになり、それがスポーツ選手だったりアーティストだったりYouTuberだったりという結論に至るようなのですが、その地位を担保してくれるものは人生経験だったり人脈だったりカリスマだったりするので、結局の所「お金の在処」については色々考えさせられる部分でもあります。ただ、最終的にはものすごく途方もない労力を捧げられるかどうかが夢と現実の分岐点であるのは明白であり、「金銭的価値がある、長期的に人生を捧げられる目標」こそが将来の夢として適切なのかなって思う次第です。

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