国家の社会福祉は形骸という話

時事・事象・社会現象

増税の理由に「社会福祉のための財源」と毎回のように言われている昨今お財政問題に係る答弁ですが、年金支給額の減額と支給開始時期の後退にはじまり、医療負担の増額や福祉の質の低下に係る諸問題、そしてなにより増税しても福祉支援の質と供給量が上がっていないという実情を見せつけられるというシーンを30年間も繰り返してきた政府機関に対して敵意を持つ国民の層は分厚いものと思われる次第です。人的負担だけにとどまらず公共インフラの品質管理の劣化や人的要因の確保に於いてもその怠慢とも取れる施策が続いている昨今、今や「日本の敵は日本政府」という認識まで浸透するようになったと観測しています。怠惰なのか恣意的なのかはさておきとして、国民が国家に対して絶対的信用を失ったことは「国家存亡の危機」に相当するのではないかと考えているのですが、議員たちの回答は未だに返ってきていません。

消費税の増税論だけにとどまらなくなった昨今はあの手この手で増税の項目を増やすことに躍起になっていますが、彼らは「国家の黒字化の先のビジョン」を一切説明していませんし、長期的な国家運営の計画も明らかにはしていません。あるのは場当たり的な増税と的外れな公共事業の展開ばかりであり、少なくとも「国民に寄り添った政治」とはどの政策なのかを説明してもらいたいと願わずにはいられません。30年以上という2世代以上に跨がる長期間にわたっての緊縮施策を展開するという狂気の沙汰に国民は振り回され続けており、その狂気の緊縮施策の成果としての少子高齢化と慢性不況、コロナ禍という災害に対しての不適切さを感じさせる対応の悪さなど、その施策の不整合さは常軌を逸しているレベルの愚策ばかりでした。多くを語ると話は尽きないのですが、彼らの「国民蔑視とも言える愚策の数々」についてはそろそろ全国規模での国民的追求が必要なところまで来たように思える次第です。

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昨今の国会討論に於ける財政問題のお粗末極まりない答弁に対して「財務省解体」を叫ぶデモ活動が複数観測されているようですが、遅きに失したというレベルの話であり、あと10年くらい早く追求の手を挙げる必要があったのではないかと思う次第です。バブル経済の崩壊から30年以上経ちますが、国家の失策を「民営化という押しつけ」で回避し、人的コストの負担を「派遣制度でお茶を濁し」、不当解雇に至っては「自己責任論」を振りかざしてきた30年という暗黒時代について氷河期世代はどれだけの苦汁をなめてきたかは想像に難くありません。経済難を慢性化させ将来放棄に追いやり、結婚制度を贅沢品にしたあげく、移民制度や外国人労働制度を利用した社会基盤の破壊を繰り返す政府機関に「何を信用しろ」というのかという話。これから少子化対策を本気で行うというのであれば、「その制度を30年間やれるのか」という話であり、それでも諸外国の水準には追いつけないのではないかという状況にまで陥っているのが実情です。

公共サービスの民営化による弊害

民間企業の思想は「営利活動」であり、公共福祉は「公的支援」である。公共交通に関して言えば「地域輸送の保証」であるし、通信インフラ各種に関しては「情報伝達の保証」であるが、これらは「民営化の営利活動で賄えない赤字を発生させる」という理由で淘汰が進んできた。鉄道事業と郵便事業は特に顕著に民営化の弊害が発生しており、地域の限界化の一因にもなっているといわれている。少なくともランドマークとしての駅の機能の多くが失われ、一部金融手続きの窓口を担っていた郵便局などの機能も大幅に見直されてしまった経緯がある。これに加え、昨今は道路や電力、上下水道などの生活インフラにも不具合が定期的に発生という事態が加わり、公共サービスへの不信感が強まっている。

そもそもの「税制の考え方」「営利企業の考えとはまったく異なる考え方で成り立っている」ことを認識していない財務関係者が多いのが問題であるのは明白なのですが、それでもその差異部分にメスを入れない彼ら官僚には不満以外の感情を抱くことが出来ません。国民が国家財政に多大な負債を作っているというのであればそれは「政府機関の舵取りの問題」であり、それは「政府機関関係者の失策」こそが追求される問題であり、それを「国民に借金として増税を割り当てる」のは不当過ぎる判断では無いかと思う次第です。民間企業でも「トップが引責する」というのが一般的であるので、彼らの民間企業論で説明するのであれば尚のこと「政府関係者が負債を負う」という思考になるはずなのですが、彼らはいつの間にか「失政は国民の選択による国家的損害」と位置付け「国民ひとりあたりの借金」と称するようになりました。少なくとも「国家は国民の将来に投資するのは無駄な行為」と考えられても仕方ない行動を30年以上も行っていることになります。

30年以上にわたる緊縮と増税、それに付帯する社会的福祉の削減によって、日本国内の人的なリソースは大幅に削減される羽目になったのですが、多くのメディアは「若者の○○離れ」と若年層が悪いように報道し、「貧しくなる自由がある」と貧困化を正当化し、今もなおそれらの侮蔑行為を継続している次第です。それでいて国内の人的理由は差し置いて海外から人的要因を呼び寄せて労働力化するという施策を続け、結果と知って国内の労働人口は確実に右下がりになってきました。「美しい国・日本」などというキャッチコピーがありましたが、海外からそう見えたとしても国内では奴隷労働が常態化している地獄絵図の世界であり、権力者の横暴がまかり通る社会になってしまいました。就職氷河期世代という世代はその地獄の最前線にいた世代であり、時代の変化を理由に切り捨てられた世代だと言われていますが、30年という長い時間をかけて彼らを「緩やかな極刑に処してきた」政治・経済界隈を彼らが微塵も信用するとは思えません。

課税基準の問題が改善されない理由

日本の課税基準は「累進課税方式」であり、「お金を多く持っているところから徴税し分配する」という方法を採っている。要は「金持ちから多くを徴税をし分配する」税制であり、それらは直接税である「所得税」や「法人税」などから徴収される。かつてはどの直接税も課税上限が高く設定されており、「節税対策」として「企業賞与の支給」などがあったというのが背景である。バブル経済崩壊以後、法人税減税が行われる過程に於いて「節税対策の必要性」が小さくなる過程で「賞与支給」などが減少していった経緯があり、それらは「世界規模の不況」という名目の元に黙認されてきた。賞与などを支給することによって別の消費が生まれ、そこで発生した売上に対して別の税収が発生することは黙殺され、「大企業の恩恵のためだけの減税」が進んでいったという経緯もある。

今や公共サービスという名目で公的機関がどのくらいの地域リソースを維持運営しているかというのは想像を超える勢いで減少しており、公共サービスそのものも低品質化を余儀なくされてきました。その背景には人的リソースの不足があり、そのリソースの不足理由の多くが金銭的理由に起因している実情があり、その金銭的リソースも適切に分配されていないという実情が浮き彫りに担っているという実態があります。それらを倫理的腐敗と一蹴するのは簡単なことでしょうが、あまりにも長期的に横行していたこれらの不道徳な行為によって「供給されるはずだった人的リソース」は二度と補充されることがない状況にまでなってしまいました。地域的・社会的・公共福祉全てに於いて人的リソースが激減したのは「派遣制度」や「委託制度」による「人的リソースの使い捨て」が主犯格であり、「即日使える即戦力」以外が蔑ろにされてきた背景があります。これらが失われた30年で行われていたというのであれば、その人的資源の回復には同等以上の時間と労力と予算を割く必要が出てくるのですが、それらに根気よく予算や労力が分配される未来は今のところ見えてきません。

世界から見ても「我慢強いことに定評のある日本国民」ですが、時期に半世紀を迎えるという長い時間にわたった不毛な国家施策による「国民の国家不信」は著しく、もはや「国家のやり直しが必要」と叫ばれる程度には状況の悪化が進んでいます。今となっては「売国国会」とも揶揄されているらしい昨今の国会ですが、既に「日本の将来を考えた議論が不在の状況」で議会が進んでおり、「日本国民排斥政策」とも取れる移民施策が増えている実情があります。今後は治安も悪化し政治不信も加速度的に進むでしょうが、そもそも私たちの住んでいる日本という国が「実質日本ではなくなる日」というのも近いのかもしれません。「国会議事堂に日本の癌が巣くっている」という与太話が実話にならないことを願うばかりですが、現実味が無いのが実情になりつつあり困惑しています。

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