越えられないネガティブの壁

時事・事象・社会現象

新年早々は明るい話題を、と考えていた時期がありましたが…新年早々というのはむしろ悪いニュースの方が多く耳に届くケースが多く、明るいニュースが1本見つかったと思えば暗いニュースが5本くらい届くというのが昨今の世の中のスタンスのように思えモヤモヤが尽きない新年を過ごしていました。かくいう中の人も私的悪いニュースに振り回されて新年早々メンタルが病むというアレですが、新年に明るい話題を求めるのはそもそも無駄な努力のようにも思えてしまいます。さながら旧年の問題解決の延長線を要求されるが如く展開される国際事情から国内経済に至るまでの不祥事及び未解決問題の山は早速雪崩のように到来しSNSなどを騒がせていますが、そもそも問題の解決意識はあるのかという話のようにも聞こえてしまいます。

時代がネガティブを繰り返す理由については知る由もありませんが、この可視化される不条理の量が果てしなく増えすぎたのは一因のひとつかもしれません。多くの問題がSNSで暴露されるようになった昨今、見ず知らずの第三者が問題の発端者を偶然撮影し、それらの情報が気付いたら流布するという実情…社会にはこれほどまでにも不条理が多く散りばめられており、それらのいくつかは身近かつ至近距離にあるという話。そして、知りたくなくても遠くの世界の不条理もネットで拡散されいやでもトレンドとして飛び込んでくる…そんなSNS時代の2020年もまた、SNSからの毒電波にもって振り回されるという時代になりそうな予感を牽引してきてくれました。SNSの所為では無いものの、世界の闇は余りにも深かったという話。

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ヒマな瞬間があればうっかりツイッターをナナメ読みする日々は昨今の日常の一部になったように思いますが、求めてもいない情報がトレンドとして飛び込んでくるのは21世紀特有の情報的テロリズムと思わずにはいられません。笑って許せるような緩やかなジョーク的な話題の拡散ならまだしも、人として倫理的に許せない情報の方が圧倒的な確率で飛び込んでくる昨今の時代背景は…世界の闇と言うより人間の暗黒面がその辺に転がっているというメッセージのようにも思えてしまいます。ひねくれた人は「タバコの吸い殻をポイ捨てする感覚で銃弾が飛び交う」と言い、「積もり積もったストレスの発散先としてミサイルの発射ボタンを押す」なんていうトンデモ発言をしたりするようですが、そのジョークが実際に確率的に発生し得る状況が今の世界情勢であり、俯瞰視してみたら世界中に火のついた爆弾がゴロゴロ転がっているような世界情勢だったというのは…何のジョークか、ジョークであって欲しいのだがと色々とツッコミたくて仕方なくなってしまいます。

ネガティブな感情は誰しも持っていますが、ネガティブな行為に及ぶ理由には…やはり何かしらのトリガーとなるものがあります。その行為は衝動的であれ計画的であれ原因となる理由があり、今はその「トリガーに指が係っている状態が多く散見される状況」というのが実情ではないかと思う次第です。年始早々から世界各地で緊張を刺激するような出来事が複数あったという話ですが、そもそもそのような事態の発生そのものが思慮に欠ける行為であり対話行為の否定であり、それに至る背景にはおおよそ世界規模の不寛容さがあるという話のようですが…そもそも「人は寛容になれるのか」という話であり、ざっくり言えば「未来永劫人は寛容になれない」という話だと思う次第です。人の数だけ価値観や正義観があり、相容れないものは排除するという思想を持っているのであれば誰が寛容になるかという話であり、なるべくして物騒な一年のはじまりを目撃していると云うだけの話。

無論、明るい話もあったはずなのですが。そんな情報はタイムラインの片隅に追いやられてしまい誰に知られるでも無く有耶無耶になってしまい、気がつけば知りたくもない流血沙汰の話題で持ちきりといういつもの流れになっていたという話。正月三が日くらいゆるゆるとした話題に浸りたかったという思いは他所に、今年も血と涙と馬鹿と不寛容の世界は平常運転という事態でもって始まっていました。それが世界の人類の選択というのであれば仕方の無い話ですが、血と権力と所有権を求める世界の濁流はどこでも発生するしどこまででも波及するという話は今年最初の話題をかっさらうには充分であり、新年の挨拶は中東情勢の混乱に始まってしまったようです。

ただ、昨今は日韓関係の話をネタにするごとに「不寛容という言葉への嫌悪」も感じるようになりました。「寛容とは相互努力であり一方的な要求ではない」というのが自身の思想なのですが、昨今は「寛容を盾にした攻撃的な発言」を耳にする機会は劇的に増えました。「世界規模の戦乱の歴史から~」と第二次世界大戦の話を憂う内容の話は毎年一定数聞くのですが、世界には大戦の記憶をダシに強請りタカりの要求を突きつけてくるという話は定期事例となりつつあり、未来志向という看板を下げたイチャモンのタネでもって貶めるような話を展開する機会も増えました。人々は過去の過ちを帳消しにすべく大量の流血を求めているとすれば…この混乱の年始の暴挙暴虐が妙にしっくりきます。それはつまらない妄想であって欲しいと願って止みませんが、世界を血染めにした戦争そのものはまだ完全に終結したわけではないと思うには充分過ぎる世界情勢がそこにあり、そろそろあの惨劇を知る現役世代がいなくなってしまうであろう今日この頃に於いて「惨劇のフラグ」は少しずつ確実に立てられているのかもしれません。

2020年というビジョンがもう少し明るいものであればと思いつつも、年始早々のアレな事情に辟易としつつ。今年はどんな記事を綴っていくのだろうと思いを馳せつつも、結局はネガティブな愚痴ツイートの長文版にしかならないであろうという予想が脳裏をよぎってしまいます。こんなクソ日記の戯れ言ですが、こんなことを考えている人もいるんだ程度に受け止めていただければと思う次第です。今年もよろしくお願いいたします。

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