創作が終わる日の意味について

日記・雑記・私的話題

ブログという機能を使った情報発信がこのまま衰退するのではないか、という話がライティング界隈で密かに話題の種になっていると聞きました。昨今のAI技術の普及・浸透によって「個人のニッチな情報」ですらその地位をAIに奪取されるのではないかという話であり、AIによって個人のナレッジの価値は相対的に衰退するのではないかという話のようで、この周期に飲み込まれる形でブログという個人メディアはゆっくり消滅するのではないかという議論が進んでいるようです。昨今の対話型AIは少なくとも検索エンジンの回答よりも端的かつ適切であり、個人の情報よりも検索される可能性が高いために、少なくとも「個人情報サイト」はその立ち位置を対話型AIに奪われるのではないかという論争の様子。

ウェブという可能性の領域は時代背景の影響を受けつつ進化を続けていますが、その速度は人間のライフサイクルから見たら恐ろしいほど早い周期でサイクルの変化がやってきます。スマートフォンという概念が技術的に確立されてから普及に至るまでがおおよそ10年と言われているようで、世界規模の技術革新ですら数年単位で発展・更新される状況は「時代の変化の濁流のような早さ」を体感せずにはいられません。ブログというものが上陸して約20年と言われているようですが、Movable Typeの登場からWordPressへの転換が数年ほどで進んだといわれており、その基幹部分を担うPHPのバージョンも短い周期でアップデートされてきました。そのWordPressもそろそろAI対話型のCMSへの置き換えが進んでいるという話が散見されるようになり、「ライターの個性」すらも無駄として省かれる時代が近づいているという危機感を覚える人も増えてきているのではないかと聞いている次第です。

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正直な話、ブログというサービスや機能が一定の終焉を迎えたところで「ライティング職」という分野が消えることは無いといわれていますが、ライティング業務の価値が変わり「職業としてのライティング分野」がマーケットとして破綻する可能性は否めないのでは無いかと言われています。昨今のAI利用の傾向として「人的コストの低減のため」という目標設定がなされている件が注目されており、AI基盤の対話型CMSの台頭と実装によって「個人サイト・ブログの消滅の危惧」が潜在的に進んでいるのではないかと言われているようです。特に商用利用・収益化基盤を持つ情報サイト・ブログには深刻なダメージがあるのではないかと言われており、ライティングの価値が相対的に大きく低下するのではないかとの危機感があるようで、収益化と無縁な趣味ブログと企業ブログ以外は生き残らないのではないかとまで言われている様子。まだ憶測の段階だと言われているものの、AIによって「人間への依頼は無駄コスト」という「刷り込み」は可能性として十分に考えられます。

量産技術と個性は共存できるか

AI生成画像の普及の流れに沿って、写真家やイラストレーターといった「画像を扱う分野の価値」が変化にさらされているという話が昨今まことしやかに議論のネタとして定期的に注目を集めている。生成画像によって「画像一枚の価値単価」が劇的に下がっているという話が聞かれるようになり、著作権画像の関連が価値崩壊の危機にさらされているという話にまで発展し、「個性の分野」であったイラストレーションの分野でもその兆候が大きくなってきた。まだ法的根拠やその利用の在り方については議論段階であり多くがグレーゾーンのまま利用されている状況だが、その利便性の拡散速度の速さによって業界人・団体の不安要素は高まるばかりである。危惧されているのは「高画質の画像が大量に生成・流布すること」によって発生することが予想される「人的コストの諸問題」への意識変化であり、絵や写真に対しての価値基準に対してネガティブな要因になることが危険視されていることである。

この議論が劇的にバズったのは、創作同人誌の頒布イベントである「コミティア」というイベントでの「AI技術の禁止事項」が大きく影響を及ぼしているとのことで、「創作のツールとしてのAIの技術の是非」「AI利用に於ける倫理規定や法的観念の諸問題」について激論が交わされているようです。実際問題としてここ2〜3年で急激にこの界隈に影響を落としていたAI生成イラストですが、その利用目的は「生成イラストによる商用利用・それに準拠する利用」が多くなっているとのことで、その多くは商業利用に対する倫理規定や権利的諸問題が問題になると提言しているとのこと。実際にその「AI学習データ」はインターネット上に発表された広範囲な情報・画像が対象になっており、その学習データは無作為に収集されたものも含まれており、画像データには個人の創作物やイラスト作品なども多く「学習されている」とのこと。著作権をはじめとした権利問題とAI学習データは同一か別物かという議論を基軸に大きな論争の渦を巻き起こしています。

過去に著作権や特許にまつわる訴訟や法的問題の類いは多数の実績や実例がありますが、無作為に収集され学習されたデータという前例の無い大規模な雑多データ群にどういった権利と著作権・特許の類いがあるかは、システムやプログラム界隈ですでに問題提起と法的根拠の議論応酬が始まっており、権利・利権・利便性の担保などの多様な方向でその利用ルールの策定が進んでいるとのことです。ただ、法的にその権利関係が確定するにはまだまだ年単位の時間が掛かりそうであり、その間にもこれらの機能やサービスは利用され、グレーゾーンのデータや機能的サービスは展開され続けるわけであり、現在はその利用については各々への自制と倫理ある利用を呼びかけているというのが実情のようです。

これが何に対しての危惧なのかといえば「人的価値への疑問符」であり、何周かすることによって「人間のアイデア・知的情報価値が暴落する危険性」であり、巡り巡って「人間をコスト化する動きの加速」に発展するのではないかという話とのこと。現在、イラストや写真・動画メディアに於ける「AI作品への忌避感・敵視性」はひとえに「倫理的に問題のある行動」や「過度の模造作品量産」であり、これにより「人に発注する行為が無駄コストになってしまう」ということが危惧されているようです。

「からっぽの創作作品」問題

特にイラストやマンガなどのコンテンツメディア関係で激論が繰り広げられているAI利用にまつわる諸問題の件には「コンテンツの核部分に何があるか」を問いかけるケースが多くなっている。多くの画像作品などで「テーマやコンセプト」が作品を作っているという「表現の核を担っている」部分が「AIプロンプトに置き換わる」ことを強く懸念してのことであり、映像・美術分野に於ける「感性の喪失」が指摘されているという。無論、個人や団体の純粋な制作物や制作行為がゼロになる訳ではないが、市場原理の影響を受けて「作品としての発表価値の暴落」が強く指摘され、大きな懸念になっている。「いらすとやの絵に対して寄付や課金を行うか」などの「無料素材に対して価値を感じるか」というニュアンスの「リトマス試験紙」のような質問を投げかける作家や制作者もいると言われており、作品価値に対しての議論は今後過熱していくものと推測される。

現在はAIの得意分野とされる情報分野などが特にピックアップされているものの、これらがどの分野のどういった部分に応用されるかはまだまだ未知数であり、今後の動向は大きく注目されることになると思われます。一部の産業ではその性能や機能性が大きく適合しているといわれていますが、それが創作や文芸・感性に依存する分野にまで進出することに対してはまだまだ多くの議論が必要になりそうです。特許・著作権にまつわる諸問題は特にデリケートであり、取り決めを参照するにはデータが不足している状況であるにもかかわらずAIサービスは加速度的に利用が進み、世界規模でのデータセンター投資などが進んでいる状況です。一部界隈では「創作は娯楽のひとつでしかない」などと揶揄されることもあるようですが、「人生に娯楽は無用の長物か?」という話で返されることもある程度には大きな意味があり、AI利用倫理などを中心に今後もさらなる激論が交わされることになるかと思います。

「創作も文芸も、ライティングやニュースサイトも無くなりはしないが、その価値はAIと比較される対象にはなり得る。データとして莫大な情報量を持つAIは確かに確率でその情報に正確性を付与するだろうけど、その情報の断片をかき集めてきた人間を蔑ろにできるだろうか? 人の意思や心・可能性の類いを尊重できるだろうか?」

少なくとも「今現在稼働しているAIサービスはまだまだ無秩序な状況だ」と言われている状況だそうですが、「無秩序かつ無作為に学習データを与えて利用してきたのはユーザーたる人間である」という事実も考慮してほしいと願う次第です。AIという壁を挟んで権利と倫理が対立する構造はしばらく続きそうですが、AI情報は「いざというときに情報以外のことを何もしない」ということを念頭に対話をしてほしいものです。「知識も歴史も、神の記した聖典さえも、『人間が解釈し利用している』という事実」について心に留めておいてほしい次第。彼らは人間の連帯責任者ではないので。

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