私たちはAIを尊重するかという問題

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ここしばらく「AIへの嫌悪や排斥思考」を多く観測するようになりましたが、その意図の意味するものは何なのかという話が各所で議論として盛り上がりを見せているようです。結果から言えば「AIは技術のひとつである」という話であり、「AIが社会的に影を落とす確率は小さい」としながらも「AIを利用するユーザーの多くがAIを過大評価するのではないか」という疑念を抱いているようにも思えるデータを回収するに至りました。ビジネス界隈に大きな影響を及ぼすであろうと言われ続けてきたAIですが、ここに来ていくつかの大きな疑問符を投げかけられるようになったのではないかと思っています。

AIに限定せずに言うのであれば「AIとの関係を尊重し合えるか」という話のようで、いうならば「相互理解」という話であり、「AIとユーザーとの関係を適切に維持・運用出来る関係でいられるか」という話のようです。AIユーザーとクライアントの間には多くの種類の精神的障壁があるようで、要は「AIと人間は適切な共存関係でいられるか」という話なのですが、ここ半年くらいで観測し続けてきた情報は「労働コストを削ぐためのAI利用」という人的意思軽視の情報群が多く、人的労力を「無駄なコスト」と位置付ける思考が多くを占めてきました。結果として現在進行形で観測している情報は「AIへ対する嫌悪感」が激増する形になっており、AI利用対立のような構造を創りあげるに至っているようです。多くの人々に期待されたAI技術は局所的には「排斥対象」として見られているのには、やはり根深い偏見やバイアス思考があるように思います。

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AI技術に対する昨今の嫌悪感は、「AIへ対する期待感の裏の側面」であると考えています。そこには技術的には非常に素晴らしいものが集積されているはずなのですが、その技術のデータベースというのは権利侵害や倫理毀損の類の情報も多数含まれているという話であり、その利用と運用には一定の性善説的思考が求められるというものなのですが、一部の利用者たちによる露骨な権利侵害や悪意ある利用などによって最悪の印象を植え付けられたというのが根底にあるようです。世の中にある「技術の結晶」が「パンドラの箱化する」のはひとえに知識やリテラシー不足による恣意的な悪用・悪用に相当する結果が生み出した副産物であり、それらが巡り巡ってしまった結果論が憎悪対象化するというものなのですが、これらの悪用に至ったユーザーの多くが「存在の所為」に責任を転嫁する行為に及ぶために規制や憎悪の対象になっているという話。インターネット時代にはこういった「グレーゾーンに跨がる技術」が多く存在するのですが、慎重に扱う必要のあるものをぞんざいに扱う傾向は今なお健在であり、定期的に社会問題にもなっています。

「革新的技術」のグレーな取扱事情

ファイル共有ソフト「Winny」が、当時のファイル交換技術に於ける革新的な技術によって出来上がったものの、著作権ファイルの交換に多用された経緯から「悪意あるソフト」として封殺されたのは、ソフトウェアの悪用・恣意的利用による印象操作から法的規制のメスが入ったからだといわれている。もともとは掲示板にひっそりと現れたソフトウェアの技術ソフトだったにもかかわらず「悪用知識としての流布」が劇的に進行してしまい、一時期はセキュリティソフトからも「悪質なマルウェア」として認知されていたという話がある様子。当時はまだ通信網の成長過渡期だったため通信負荷を激増させる副産物が流布したこともあり、企業は積極的に封殺を選択することになった。また、ユーザーの知識不足やリスク性の誤認などもあり、当時これらのファイル共有ソフトが「暴露ウィルス」として機能したこともあり、結果としてインターネットリテラシーの低下が何をもたらすかというリトマス試験紙にもなったといわれている。

AI技術以前にも多くの技術やサービスが知的権利にまつわる諸問題を抱え迷走の果てに消滅したという話は枚挙に暇がないくらいで、法的グレーゾーンを突いた悪質なものも多かったという時代だったとは聞いています。とりわけその背景の多くにあったのは特許使用料に対してのローコスト要望であり、高い権利使用料コストの上乗せに対しての忌避感だったと言われているようです。iPodが牽引したMP3フォーマットに対してMDプレーヤーのATRACフォーマットはコスト面で不利であったし、TVコンテンツのインターネット流布の阻止にDVDレコーダーにコピーワンス機能を導入しコピー機能を強く制限したことはコンテンツ情報の拡散性を抑制する遠因にもなりました。これにサブスクリプションサービスの上陸によって既存メディアによる円盤戦略も衰退することになったので、近年は記録メディア産業は一通り崩れ去ったということになりそうです。

今回のAIにまつわる諸般の事情に関しては、もっとダイレクトに影響が出るのではないかと言われているのが「強烈な人的コスト削減への方針転換」です。事務や開発界隈には戦々恐々のムードが出ていると聞きますが、もっとも危惧すべきところは「過度な人的コスト削減による現場冗長性の欠損」で、既に情報部門と現場部門の一部では深刻な情報交換の齟齬が出ているといわれています。人が減ることでも「業務は回る」かもしれませんが、「不測の事態に対応できない」という問題が各所で噴出することが多くなったという情報もあります。これは「AIと人間による適材適所の配分ミス」と指摘されるケースが多いと聞きます。また、AIによるシステムは既存のシステム以上に大掛かりなアップデートが伴うことが少なくないため「一周回ってコスト難になるケース」もあるという話もあるようで、結果としてAIへの極振りは相応にハイリスクであることだという認識に落ち着きそうです。

それ以上に危惧されているのは「AI依存」だと言われています。スマホ普及期に於ける「検索依存」に近いと言われているようですが、情報の対話性が大きく向上したことによりその依存性はかつての検索依存よりも遥かに深刻な問題化が指摘されているとかで、「人間の深刻な思考放棄」がやって来るのではないかと危惧する声もあるとか何とか。

短期的結果だけがピックアップされる問題

情報化する過程に於いて「結果至上主義」が先行するケースが増えてきたという話が目立つようになり、短期的な成果が求められる反面で長期的成長戦略は後手に回りやすいという問題を抱える機会が増えてきた。これは現場が「派遣社員という短期的応援要員」を重視し「将来的な成長要員の育成放棄」を結果として推進してしまった経緯に重なる部分が多い。労働市場では「失われた30年」を指摘するケースが多々あるが、多くの企業や団体が長期的成長戦略よりも短期的成果獲得のサイクルを重要視した将来投資の希薄性にあるといわれている。また、人的要員が流動的になりすぎて慢性的人手不足になる土壌を作ったとも言われており、派遣社員も適切に育成されることなく消費された結果、現在の不安定な人事土壌を作ったともされている。

これからどのくらいAI関連への投資や増資・増産などが展開されるかは不透明な部分も多いですが、この分野はいびつな成長を続けており、崩壊が始まった瞬間に跡形もなく吹き飛ぶ企業や団体も多いのではないかと推測しています。また、技術水準に対しての利用者のリテラシーレベルが明確に不足しており、投資もいびつさを増した形で崩壊するのではないかと思っています。情報としては圧倒的な精度と正確性をAIが導き出してくれるかもしれませんが、その情報に沿った計画を実行する「相応の人材が不足する」という現場の事情が容易に想像出来るからです。特にコロナ禍を経てからの労働市場は一切の回復基調が見えず迷走を続ける企業が多いと言いますが、非常事態を金銭的な情報のみで判断した結果が当時の莫大なリストラ計画であり、帰ってこない労働力だと言われています。

また、失業要因が増えることによる社会基盤の弱体化も深刻度を増してくることが想定されます。満遍なく振り分けられた資本が流動的に動かなくなることによって「生産に対しての消費」が弱くなり、中長期的に経済が悪化するというフェーズには少なくとも現代社会は突入しており、いよいよ慢性的な負のループが数回周期回るという状況が現在という話のようです。今のところ人的な要素が回復基調に見える様子がありません。これはコロナ禍前に多くのブラックな事情が関与していると言われています。

AIは短期的なカンフル剤としては強く影響を及ぼすでしょうが、その効能が劇薬である可能性が高く、経済・人材問題などに過度の依存症を引き起こす可能性を秘めていると思う次第です。AIでの成功体験は過度な投資を招き、人的投資を軽視する傾向を引き起こすことが予想されます。誰かに依頼していた仕事をAIに任せ、成功を収めた瞬間から「人への業務依頼は無駄なコスト」という刷り込みが発生しないとは言いきれないため、想定される事態は「人的投資への疑問符と投機縮小」であり、結果として多くの個人や事業者を焼き尽くす絨毯爆撃になる可能性すらもあります。AI技術の流入と社会利用は不可避になってきた昨今、少なくとも「AIとの共存の術」について継続議論だけでもつづけて行く必要がありそうです。

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