不況に賭した人々へ捧ぐ

日記・雑記・私的話題

長らく勤めていた派遣会社を退職するに至るという経緯からこのブログの更新頻度が激増しましたが、このブログそのものが「ストレスの掃き溜めのような記事ばかり」という趣旨の都合上…私たちは本当にストレス社会に生きているんだなっていう気持ちを振り返る格好の機会になってしまいまいたやり場の無いストレスを吐き出し始めるとキリがなくて、その量の膨大さから大なり小なりの誰かを傷つけて…その負のスパイラルがいつ誰の手によって構築されたかはさておきとして、私たちはちょっとした理由があれば簡単に闇堕ちし、誰かを無尽蔵に翻弄するという事態を作ってしまうという事実に向き合うことになってしまいました。理由無く傷つけられた人もまた容易に感情に翻弄され「同じ痛みを与えるべきだ!」と声高らかに右手を挙げるという事態になることは想像に難くない話で、この殺伐とした社会の基礎を垣間見てしまった気持ちになってしまいました。

その多くは不況という名の金銭的差別が導き出したと言われているようですが…それはトリガーのひとつに過ぎず、人間は如何なる環境や社会情勢に関わらず「違うものを蔑視する精神」を少なからず持っているものと考えています。古くからの階級制度や差別思想にまで遡るこの思考や感情はもはや人間の根底にある精神心理のひとつと捉え、日々の行動の各シーンに於いてそれらを認識しそれらを自発的抑制するしかないのではないかと考えている次第ですが、世の中にそのカースト制度のような思考を排除できるような画期的な思考術は生まれ得るのかどうか…難しいところです。昨今はSNSでもってそういった情報の末端が垣間見えるようになったわけですが、そこを取り巻く言動の多くが差別的であったり攻撃的であったりするあたりに「人間の理性の限界」を感じるシーンは多いように思います。

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未だに減少に転じることが無いといわれる自殺件数の理由のかなりの件数が「経済的理由を発端にしたもの」だと言われているようですが、それが直接的にトリガーになっている件は少ないと言われているらしく…それは「積もり積もったモノが最終的なトリガーになった」というケースの方が多いと囁かれているようです。金銭的な理由により日々に対しての齟齬は少しずつ確実に形になるといわれており、生活水準の低下に端を発したうえでの「少しずつ確実に訪れる困窮状態」にはじまり、それに伴う「環境の変化」や「周囲の人的環境の変貌」、それらが一定量累積されることに依るトリガーの発動によって「自殺などの事件性のある行動」が発症すると言われているようです。ただ、社会レベルで広域に不況の影が落ちている昨今に於いてそれは否定できない要素のひとつであることは疑いようが無く、その状況はかなり広範囲で量産されていると言っても不思議ではないのかもしれません。

不況の改善策として多くの意見が提案され、そのいくつかは実際に法的な効果を持つに至ったものもあるといわれています。しかし、実際にその経済効果が末端まで届くことは無く、いたずらに経済格差とその恩恵の差異を拡大させた程度で終わらせてしまったとも聞きます。結果として多くはその効果を発揮すること無く消滅し、法的拘束力のある事案になった項目もまた何らかの形で黙殺され「無かったことにされた」という話。それは個人所得のレベルが大きく後退したことが物語っており、結果として社会をより混迷の渦にたたき込んで終わったという結果になってしまっています。経済的に育児も困難になり、生活水準も年々右下がりにすることを余儀なくされ、挽回の機会も無く死の片道切符を買いに行くという図式は今は深刻な問題になっていますが…バブル経済崩壊の時期からその件数は右上がりという事実はどこで隠蔽されてしまったのでしょうか?

もっとも顕著なのは少子化にまつわる諸問題であり、社会は育児や教育を忌避するようになったとも聞きます。親は経済困難に陥り共働き化を余儀なくされ、社会は子供がうるさいと忌避し、子供のためにあったと云われる公園や諸施設はいつの間にか撤去されており、社会の闇は子供たちに虐待という形で表れる…など。大人世代の不幸のはげ口に子供がサンドバッグにされるという最悪の事態も昨今はかなりの数が計上されているとかで、時代はもはや現役世代の維持だけでも精一杯という状況を露呈するに充分な状況となっています。少子化問題の多くは机上の議論で解決出来るような簡単な問題ではなく、地域社会が総力を挙げて試行錯誤と共に共存をする仕組みなのですが…いつの間にかその思想と行動は形骸化してしまい、子供を産むことがリスクとまで云われる時代にまでなってしまいました

不況が時代を殺してしまったのか、はたまた好景気の時代の牽引者が不況を嘆き自暴自棄になったのか…それは定かではありません。ただ明確に言えるのは「現場の疲弊度は限界を超えている」という話であり、教育現場のブラック化や社会のモンスター化にはじまり、社会の治安悪化や引退世代の「あの頃はこうだったという時代価値観の押しつけ」など無理難題の提示…枚挙に暇がありませんが、結局のところ「変化する時代への逆行」が何かしらの防波堤としての機能をしており、現役世代への攻撃行為へと変貌しつつあるという話は…早急に考えるべき問題として提起したい次第です。幼くして時代を読み解ききれた子供たちのみが無事に「立派な大人になる」時代が来るとしたら…それはそれで時代の暗黒面であり、私たちは彼ら「完成された子供たちに駆逐されてしまう」時代になってしまうフラグにもなり得るという話。

不況という時代に失ったものは多いと聞きますし、実際に多くのモノが失われてきたと認識しています。その中には「理不尽な理由で奪われた人間の命」も含まれているという話であり、彼らの無念のために何が出来るかという話。少なくとも不況と共に人間の価値は暴落し、人は消耗品のように雑に扱われるようになったという話であり、それは労働界隈の現場で多く見るに至りました。「現場にそぐわない歯車」として社会的に処分された人々がどれほどいたかは定かではありませんが、これからも現役世代は社会の歯車として消費されるであろうという話であり、そこに人間性もなにもあったモノでは無いという話。人生を賭して未来を求めた人々が絶望の果てに見たモノは「現代という名の地獄」であるとすれば…あまりに耐えがたい話。

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