青春少女に理由は不要

日記・雑記・私的話題

昨今の「カルチャー趣味を楽しむ少女たちの物語」が緩やかにではありますが確実にその注目度を上げ、社会的潮流を生み出す大きなムーブメントとして扱われています。数十年前、「美少女もの」と呼ばれてきた作品群がバッシングの対象になってきた時代からは想像もつかないような市民権獲得沙汰ですが、そもそもの物語の選択肢は「老若男女のいずれかが何かしらの物語に触れる体験劇」以外に選択肢がないようなものなので、長い間こういった創作活動に触れてきた人々からすればごく普通の群像劇だったりするのですが、そういった潮流こそが「文化としての市民権獲得」なのかもしれません。キャラクター性と意外性を鑑みれば「美少女というキャラクターの普遍的注目性」「趣味性という未知との遭遇」のコラボレーションは十数年周期で一周する惑星の公転のようなもので、昨今キャラクターたちの飽和状態から「レアな趣味体験というコラボへの舵取り」が活発化しただけの話なのかもしれませんが、未知を知るという刺激体験という意味ではこの潮流は大いに歓迎したい次第です。

古今東西には多種多様な趣味がありますが、趣味とはひとえに「知識探求行為」であり「コスパとは無縁の熱量至上主義の世界」です。平成という時代が市民から経済力を取り上げてしまった昨今は何事にもコスパがつきまとうという世知辛い時代になってしまいましたが、純粋に少年少女の時代に体験した趣味世界のエネルギーというものはおそらく人生という限られた時間枠のなかでも最もキラキラした世界として映るものであることには間違いないと思う次第です。もっとも実際にそういったタイミングで輝かしい趣味に出会う確率は天文学的数字であるとも言われていますが、人生を彩る趣味世界に時間軸の制約は大きなものでもなく、タイミングによって違う視点を得るという意味では「いつ如何なるタイミングで触れても良いココロの中のセカイ」なのかもしれません。趣味は持っておくべきだと声を大にして言いたい。

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何もコンテンツとして美少女キャラクターを立ち上げる必要はないのですが、ショーメディアとしてもっとも印象に残るキャラクターという意味で美少女キャラクターがキービジュアルになっているケースは多くを占めていると思われる次第です。華やかな印象があれば初期印象は良くなると言われており、「ジャパニメーションとの相性は美少女キャラクターが握っている」といっても良いくらいキャラクターに重きが置かれています。「カワイイは正義」というキャッチコピーがありましたが、日本のアニメほど「カワイイを前面に押し出したコンテンツ」は極めてレアだと思います。これに関する諸説は色々あるといわれていますが、日本のコンテンツは死ぬほどカワイイものが好きだと言って良いでしょう。

昨今だと美少女たちが「キャンプを楽しむ」とか「原付のある生活を楽しむ」などがあるそうですが、そのかわいいビジュアルとはギャップを感じるような趣味との出会いを描く作品が昨今いろいろと注目を浴びていると言われています。正確には「かわいいキャラクターありき」であり、かわいいキャラクターたちが「出会った趣味を全力で楽しむ物語」を求めているのであり、ひいては「キャラクターたちと同じ感動を共有したいという共有願望を満たす作品」を求めていて、最終的に「キャラクターが出会った趣味を自分たちが楽しむという趣味」に帰結するといった感じでしょうか。ここ10年くらいで話題性を持っていった作品は多種多様とはいえ一般趣味からレアリティの高い趣味まで一通りあり、青春を謳歌する少女たちの群像は「趣味を嗜むための言い訳」にも思えてしまうくらいです。趣味人として願うところとしては「10年後も同じ趣味を大切にしてくれているか」という話であり、できれば一般趣味を細長く大切にして欲しいというのが本音というか何というか。

ここまでコンテンツが飽和状態になってきたことがレアリティの高い趣味物語を紡ぎ出す理由になったのかもしれませんが、世の中にはこれほど多くの趣味世界があり、深めていけば底無し沼のように深い世界があるというのはもっと知られて欲しいと思っている次第です。何故なら、「無知とは人生の損益であり、知欲とは人生の原動力であり、趣味とは人生の彩りそのものである」からだと強く思うからです。創作趣味・音楽趣味・体験趣味などからレアリティというより業の深いサブカルチャーにいたるまでの趣味世界ひとつひとつに世界があり探求があり、深い造詣と改革があり、ひいては栄枯盛衰にいたる系譜までがあるのですが、それを紐解き体験するという行為は「人生という探求そのもの」ではないかと考える次第であります。日本のキャラクターコンテンツの多くがカワイイというカテゴリに括られているのはある種の偶発的宿命であると考えていますが、趣味世界の紐を解くのに理由は不要であり、「知りたいと願ったから紐解いた」というのが趣味世界の入り口であり、カワイイ少女たちの偶像劇は「人生の趣味沼の担い手」のひとりに過ぎないということです。

キャラクター萌えを追求するのもひとつの趣味世界の選択肢であることに間違いは無いので、その物語には需要はあります。リアル世界を巻き込んでいる物語であれば、その世界観などにも需要はあります。「少女たちの楽しいを楽しむ」も楽しみ方としては充分に選択肢としてアリです。今という時間軸にその物語に出会った感動を、少しでも長く大切にして欲しい。創作者や趣味界隈の人たちのささやかな、それでいて大切な願いです。

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