昨今は検索エンジンがなんでも回答を引き出してくれるともっぱら評判ですが、そんな検索エンジンの検索能力を以てしても解決しない問題は山のようにあります。問題解決のヒントを探し出す事は出来ても問題解決の決断をするのはここのユーザーであり、そこには個人単位の判断基準や価値基準などの差異があるが為に決断に至らないケースは多数あるといわれています。そもそも検索エンジンが万能な解決策を提示してくれるのであれば世界は混沌の時代をかき分けていく必要もなく、彼ら情報集積器具の知恵に任せれば万事解決という話。先進機械に仕事を取られるという話に信憑性があるのであればとっくに仕事は奪われ、路頭に迷う人々によって「人類 VS 先進機器」といった図式が出来上がっていても不思議ではないのですが…そんな様子は微塵も感じられない次第。
もっとも恐ろしいといわれるのは「検索エンジンが情報を提示してくれる恩恵のままに思考をやめてしまうこと」であり、「思考停止した人間の精神的な機械化」なのかもしれません。昨今は結果論を突きつけられることが多く「結果こそすべて」な風潮が強まっていると聞きますが、課程があってこその結果であり、課程の汲み取り方によって結果の詳細が変わってくることにことの意味があり、結果と過程をバランス良く鑑みることが重要だと思うのですが…すべてが課程を顧みずに結果のみで語られるケースが増え、課程の意味合いがかなりの変化を遂げているという話は昨今よく聞くようになりました。すべてを推し量ることは難しいとはいえ、結果のみを追いかける昨今の論調には不安を感じずにはいられません。
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宗教の世界には「神の教えは偉大である」という定説があるわけですが、「すべてが私たち信仰者のために存在する」という定義は存在しません。神々の時代に検索エンジンのような集合知があったとしたらそれはそれでどんな結果が降り注いだかは興味がありますが、私たちが知り得る神々の教えとは今で云うところの集合知であり、先人の経験を具体的な方法で持って提示した既存情報であるという仮説を立てるに至ります。世界には多くの神々と信仰の歴史があるからにそれらは複数存在したことは明白であり、それはその地域に於ける「より豊かに生きるための集合知である」と説明出来るのではないかと思っています。「神が唯一無二の孤高の存在である」のであれば世界に宗教戦争なんていう概念は存在しなかったはずであり、言葉や認識の違いはあれど「そこに多大な流血沙汰は有り得なかった」となるはずなのですが。
昨今は思考停止の時代、なんて揶揄されることもあるようです。必要な単語とネット環境があれば検索エンジンにおおよそすべて任せてしまえる、そんな環境が整ってしまったから「思考する行為が時間の無駄になる」なんて思考が生まれてしまったなんて言われることがあるようですが、その言葉の趣旨の半分くらいは的を射ており、思考の嗜みの世界は「無駄扱いされる行為」になったとまで揶揄されているとか。検索エンジンの導き出す回答は「結果こそすべて」の世界であり、必要な情報を素早く汲み上げるには充分な機能ですが…人間の成長システムに於ける「思考の排除」はむしろ成長要因の阻害であり、本来求められるはずの思慮深さの欠落に繋がる「精神的欠陥の誘発材料」になりかねない危険な思想だと思われるのですが…それでも「結果論が故に課程はどうでもいい」なんて返答が出来るでしょうか?
脳の成長や社会的な成長も含め、脳のためには多大な思考とそれに関連した判断経験が必要とされています。課程を排除した思考とは「結果以外の部分は無価値」と切り捨てる思考になりかねないのですが、昨今それによる「思慮不足による事案」は増えていると囁かれています。私たちの金銭的生活が豊かになる反面で「脳の健全さは失われつつある」という話はまことに遺憾な話ですが、感情的かつ刹那的な事件や事案は昨今増加の一途を辿っており、それを制御する社会的環境もまた短絡的な思考でもって機能しようとしているという話であり…その問題が単純明快でありつつも解決の糸口を見いだせない矛盾したもどかしさを提示しているようにも思います。私たちは、技術に何もかもを任せすぎたのかもしれません。
自動車の自動運転機能はこれからも成長を遂げることは容易に想像出来ますが、判断を誤って逆走をするドライバー対策にはあまり効果がないように…私たちは「自身の成長のために出来る事を恒常的にしなくてはならない」ことからも多くを得たはずなのですが、昨今それを怠るが故に発生するトラブルが後を絶たないことはもっと認知されて欲しいと思われる次第です。生涯学習という概念は「豊かな生活のために出来ること」と認識されることが圧倒的ですが、「周囲と共存するために最低限度できることの継続」という裏の認識事項にはあまり気付かれていないようにも思います。結論として検索エンジンは「複数ある情報の提示」は出来ても「根本的問題の解決」はしてくれないという話であり、私たちはもっと思考と判断でもって検索エンジンを凌駕する知識を求め続けなくてはならないという話。機械は私たちが思っているよりも冷徹で残酷なほどに中立であり、機械に多くを委ねるということは「人間としての自我を放棄する」に値するという話であり、これからの技術時代に於いて「機械に仕事を奪われる程度の安い人間になってはダメだ」という反面教師的な思考が私たちを牽引していく時代なのではないか…そう思う次第です。技術は優れていたとしても、人に優しいわけではない…という話。


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