君の知らない物語

時事・事象・社会現象

表現の規制を求める人たちのクレーマー的な奇行が話題のようですが、彼らの一語一句の発言が的を射ていない上に毎回核心部分の発言内容が変わることは非常に興味深く視認している次第です。その界隈で「お気持ちテロリスト」などと揶揄されているようですが、その時の主観で発言した内容の多くが支離滅裂な無根拠感にあふれた内容であることからもその形容がなかなか的を射ているのも興味深いです。何より彼らの発言の多くは「大義名分を得ているようで実は個人的主観でしかない」というのが反対派層をひどく刺激する理由になっているのがまた業が深いような感じになっています。その思想はおおよそクレーマーのそれと酷似しており、「行動力を持った主観の暴力」として機能しているようで、彼らを忌み嫌う人々から砲撃の対象にされているという話のようで。

「オタク趣味界隈に難癖を付ける慣習」はかれこれ半世紀くらいにわたる「表現の自由と表現の規制推進との戦いの歴史」だとうかがっていますが、紐解いてみれば「彼らを理解しようとしない嫌オタク派の暴挙」という結論しか出てこないことがなかなか興味深い話だったりします。「マンガ文化」と昨今でこそ持ち上げられる機会が増えましたが、半世紀前は焚き付けられるほど嫌悪されていたというのはもはや過去の遺物になってしまったのかもしれません。もっともその風潮もまたメディアの作り出した「仮想敵」であり、「敵を攻撃することでショーメディアを演出するワイドショーの構図」であり、「私たち趣味人をオタクと蔑視してきた歴史」なのですが、彼らが喜々としてオタク叩きをしてきた姿を私たち当時のオタク層は未来永劫その記憶を忘れてはいけないと決意をするには充分なものでした。

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約半世紀前はマンガが標的になり、四半世紀を経てアニメやゲームを攻撃対象に加えたオタク叩きの系譜の原型は「メディアの欲するサンドバッグ製造機」でもあり、メディアの気に入らない分野や忌避する分野であるサブカルチャー界隈に根を張ったと言われています。半世紀を経てニッポンのサブカルチャーは一大カルチャー枠へと進出を果たすに至ったのですが、それを忌避する層は未だにその蔑称でもって私たちを攻撃しているという話を聞き及んでいる次第です。彼らアニメを憎み蔑視する層は様々なパワーワードと共にこの界隈に理不尽な攻撃を仕掛けてきましたが、彼らが「お気持ち」と揶揄される理由は「そこに確固たる根拠も目標も、果てはエネルギーすらもその時の気持ちだけで構成されている」というものであり、昨今SNSを経て拡散を続けるこれらの攻撃行為は「迷惑行為を超越した規制行為」という認識に至っている次第です。「権利を守るため」という文言がありながら「差別的蔑称を連呼する」彼らはこの界隈では立派なテロリストとして認識されており、思慮も理性も無い彼らの暴挙に翻弄を余儀なくされるオタク界隈のいち関係者としては…負の感情が込み上げてくる次第です。

SNSの恩恵は「個人の影響力」にあるといわれてきましたが、昨今それが「規制強化のための職権乱用」に使われているという話がまことしやかにこの界隈で囁かれてきました。「声の大きな人々の拡声器として利用される」ようになってきた昨今のSNSですが、その「声の大きな人々」というのがこの「思慮の欠片もない人々」に利用されるというなかなか由々しき事態になっているようです。ここ数年の間にアニメ作品などとコラボした地域というのはいくつか存在しますが、これらを採り上げるメディアは「オタクコンテンツだから」という理由で偏見を織り交ぜた表現をしていることも多く、純然と作品に関わってきた人々に多くの爪痕を遺すこととなってきました。地域振興に一役を得た作品もあり、地域に根付く作品も出てきた昨今ですが、このような「お気持ち的な理由」でもって攻撃され規制されるという事態は正直なところ納得出来ない以前に信じられません。そもそもこれらのコンテンツに触れたことのない人の先入観と主観と偏見でもって攻撃されることに誰が納得するのかという話であり、それが意味不明の理解不能な理由であればどうするべきかという話。

ツイッターが馬鹿発見器として機能しているなんて戯れ言が実話として機能している昨今はなかなか狂気に満ちているといっても過言ではなく、昨今大流行している感染症の類よりも激しい勢いでその怒声のこもったツイートは拡散を続けています。この手の私怨の類には触れたくないものですが、タイムラインがこの手のツイートトレンドで盛り上がっているあたりが色々と耐えられない空間への誘いとして機能しており、昨今のSNSはストレスに満たされた空間へと変貌をしつつあるという話。かつていくつかのSNSがかつてない繁栄の後に勢いよく衰退したことになぞらえて、ツイッターもこの類のように過疎化するかもしれません。ある意味それは望まれての過疎化となるんでしょうが、言葉の揶揄を知らない人が言葉遊びをするとこういう事態になるんだなという事例を作ってしまったようで良かったのか悪かったのか。言葉遊びがいつの間にか言葉狩りに変貌し、魔法少女が魔女化するかのように、濁りきった感情がそこにはない感情線でもって爪痕を遺すという図式が形成されているのですが、この事態は当分解決することなく多くの心に爪痕を刻んでいくことと思われます。

偶発的にこういった類のクレームに遭遇した「アニメ作品」と「コラボした地域」はこれからどうするかが気になるところですが、クレームを付けた方は多分「何も知らない」のだと思います。その地域にもたらした経済効果の類はもちろんのこと、そこで発生した人的交流や相互理解の類も、その影響力やらなにやらもひっくるめて。彼らが自身の無知を声高らかに宣言し作品や地域を攻撃したところで彼らを突き動かしているのがただの感情論でしかないため、彼らは散々ネットにもリアルにも焚き付けるだけ焚き付けて「そんなに焼くつもりはなかった」とテンプレに沿った詭弁を繰り広げるだけで、それすらもテンプレに沿った演出でしかないという話。彼らと絶対に相容れない理由は「彼らがそもそも対話も理解もする気が無い」というところであり、気に入らないから野焼きにするくらいの感覚で「自身の大義名分でもって自身の正義ごっこを果たす」という話。相互理解の類であれば半世紀も労力をつぎ込んである程度折衷案もでるというものですが、オタク攻撃層とオタク趣味者の溝は年々溝の深さを増しており、裏付けとしての「解決意思がない」という結論がここにあるという話。

ツイッターをはじめSNSのいくつかは、この数ヶ月くらいの間で急激に住みにくさを増してきたものと思われます。ここ数ヶ月の間にいくつかの議論沙汰が発生し、そこに注がれた議論のエネルギーがおおよそ暴論の類しかないことからも、これから言葉遊びを楽しむ140文字の界隈は荒れ狂うことが予想されます。人間の加虐思考もまた本能の一部と言われていますが、それを制御する理性が微塵も無い人々たちに蹂躙されたこれらSNSはやがてディストピアへと転落を果たし、心ない人々の罵詈雑言に晒されるためだけの界隈へと成り下がるかもしれません。信用を得るのには膨大な労力を伴いますが、信用を木っ端微塵にするのは一瞬の労力で叶ってしまいます。彼ら「お気持ち勢」の気持ちを汲み取るには少々暴論が過ぎた感が否めず、もう彼らとはSNSを戦場とした全面戦争に突入するほか無いのかもしれません。もっとも、140文字の言葉だけが彼らの武装とは限らない昨今の社会事情を汲み取ると…もしかしたらガチの図書館戦争が勃発するかも知れないくらいの勢いですが、その暴虐行為ですら彼らの中では感情論であり「お気持ちに依る行動」なので、いち趣味界隈の住人としては疎開先の模索が大変になりそうな予感がします。

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