企業が不況を理由に早期希望退職者を募るという事案は平成に入ってかなりの数を数えているようにも思うのですが、労働引退時期を引き延ばすよう勧告を出しつつも引退を推奨する昨今の時代背景には大きな矛盾を感じざるを得ません。そもそも経済を創るのも回すのも人間であり、その人間を機械の材料や何かのように消耗品呼ばわりする理由にはならないと思うのですが、姥捨て山に老人を棄てるかのように人材を放り捨てる昨今の時代背景はどうにかならないものかどうか。人間性とは教育の賜物と言われつつも教育を簡略化しつづけ無能者を量産し続ける結果を導いたのはだれか、急務は何かが解っていても責任逃れのための挙げ足取りに勤しむ昨今の社会情勢はもはや魔女裁判のような理不尽極まりない時代へと邁進しつつありますが、それすらもツッコんだら負けみたいな風潮があり…私たちは何を見ようとしているのかという気持ちになってしまいます。
機械化や情報化を求めた反面で「機会に仕事を取られる」や「人工知能に仕事を奪われる」などといった言葉は定期事案として上がってきましたが、結局のところは企業や個人の一部が持ち出した妄想か何かの類のようであり…彼らの安泰を脅かす材料というタテマエの元に利用しようという魂胆のようにも思えた次第です。仕事を奪ったのは最新の機械設備出会ったかもしれないにしろ判定を下したのは企業トップの人事であり、結局人間同士の争いのタネだったのではないかという結論はなかなか皮肉めいている回答だと思う次第です。多くの場合は機能や仕組みを持て余してしまい、真に無駄な投資をした結果論という話…平成の家電戦線で日本企業が大敗した理由のようにも思えてしまいます。「人間にとっての敵は人間のみではないか」という話が妙にひっかかる今日この頃ですが、そもそも人間は日々何と戦っているのかは気になるところ。
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おそらくは人生の多くを学んできたであろう40代~50代の戦力比はこんなにも過小評価しかされておらず、あまつさえ給料泥棒扱いされる宿命を背負ってしまったのは何故なのか。令和元年の今に於ける40代といえば最大戦力を最低賃金でというもっとも不毛な世代だというのに、それに「要らない子認定つきで捨てられる」という屈辱を味わう羽目になるなんて…老世代に活力をとか云いつつも待っているのは緩やかな絶望だけという昨今のご時世、国家戦略や社会経済に於ける実験保有者があまりにも無知無関心という世知辛い世の中であり、結局のところ世の中はそれを享受せざるを得ないという実情を迫られており…間違い無く平成という時代は暗黒時代に人展されるのではないかと思わずにはいられません。
不毛な時代には不毛な事件が起きる…なんて言葉があったりしますが、世の中の日常がすでに不毛そのものの時代となっており、SNSで緩やかに監視され、常に誰かの視線やら何やらを感じながら生きる時代になってしまいました。望んだか否かはさておきとして、濁流に抗う術など無く受け入れるしかない多くの末端の人々はそんな緩やかな絶望を受け入れるしか有りません。スマホが絆の象徴であるとすれば、そこから四六時中発せられる電波網はさながら絆という名の鎖であり、SNSやチャットツールで相互監視される社会はさながら「絆地獄」といったところでしょうか。チャットの既読と未読の狭間で人間関係が揺れ動く程度の重さだとすれば、人間の価値は随分と軽くなったものであると云わざるを得ず…云ってしまえばその手にあるスマホよりも価値は薄いし軽いといったところでしょう。
世界に自浄作用があるとすれば、世界にあふれすぎた人間という種のDNAのどこかに自浄作用に繋がるスイッチがあって…増えすぎた人間がいつの間にか暴走し地球圏から駆逐される時がくる、なんてフラグがあるのかもしれません。世界には地球を何度となく破壊できるほどの核兵器があると云われていますが、おそらくそれらの過剰な兵器によって駆逐されるであろうものは表層上にいる生態系だけではないかと推測します。人類の叡智と呼ばれる知識ですら未知数のものを多く含んでおり、いわば予測の範疇を超えられない学術が多く存在するからです。未来が情報産業で再構築されるかといえばそういう風でもなく、昔ながらの狩猟や農耕といったものと共存を経てそれらが構築されるというほうがイメージとしてはしっくり来るわけで、言ってしまえば「ごく一部の限られた世界」と定義せざるを得ないと考えている次第です。情報化社会の末端には必ず人がいて、情報化の恩恵のない人々とも共存しなくてはならないし、人工知能は率先して人を駆逐などしないという話。
もし人工知能たちが人間を駆逐するというのであれば、それは人間が害悪として認定されてからという話。ある意味「人と共存出来ない人は駆逐されるべきである」と彼ら人工知能勢が判断すれば…そういう悲劇も無きにしも非ずですが。ただ、昨今の人間社会に於いて「人間の低価値化」は著しく進んでおり、叡智もへったっくれも無い人々を量産に至らしめる社会を形成しているという昨今の時代背景を鑑みると…AIに殺される日というのは「蒔いたタネが成熟した結果」となる可能性はある、それはもっとも合理的思考者である彼らならあり得る話というのは間違い無いという話。少なくともAIに殺される程度の思考しか持ち合わせていないのが現代の人類であるとすれば…それもまた宿命なのかもしれません。
効率化と高コスパの果てに人間の価値が暴落を遂げているわけですが、価値を失った人々が創る価値の低いモノやサービスによって喪失のループを繰り返した結果を私たちはすでに享受している状態でして。それを直視し痛感し、絶望した人間からどんどんこの世界に見切りを付けていく…とすれば、人類は世界的闘争を待たずして崩壊し自滅するのかもしれません。真面目で勤勉な人間が我先にと自殺していくというディストピアは、誰かの望んだ世界でもあり人類の自浄作用であり地球が持っている対人類用ワクチンのひとつなのかもしれません。こんな妄想にしがみ付くしかないほど世の中は疲弊しているという事実ですが、私はそれを認めたくないがために今日も妄想をするわけで、心の底から「直視できる世界」を求めたいと願って止みません。直視できないのが現実、重いひとことです。


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