個人サイトはまだまだ続く

日記・雑記・私的話題

2021年になった昨今、インターネット黎明期に乱立した個人ニュースサイトに注目している自分は相当に老いたという気がしますが、それでも個人サイトや個人ブログに注目する理由は「マスメディアの衰退」「ソーシャルメディアの混沌化」にあると考え、この今に至るまでずっと継続を続けてきた次第です。メディアの発信能力は相変わらずマスメディアに相当数の力がある状態ですが、その正確性や指向性にはここ十数年で疑問符が投げかけ続けられ、アップデートを失ったとも取れるマスメディアの偏向報道やフェイクニュースの類は昨今その甚大性を増すばかりとまで言われています。個人ニュースの信憑性や信頼性・その拡散性やメッセージ性に至る多くの事象は不安定ではあるものの未知数でもあり、昨今に於けるマスメディアのそれに比べれば随分と伸びてきたのではないかと思う部分を感じる次第です。逆に、今となっては個人ニュースサイトの信用性よりも低くなってしまったマスメディアの中立性や何やらが疑問符という話でもあるのですが。

昨今のニュース界隈の一端を牽引しているのは「まとめサイト」と呼ばれるキュレーションサイトの類といわれていますが、そのニュースのソース情報は掲示板等のコピペであり、近年かなり疑問視がされてきました。個人や企業に至るまでこういった集約系キュレーションサイトに尽力が成された時期がありましたが、昨今それらは一定量の終息を見せたと言われています。不正確な情報と攻撃的な煽り文句、事実誤認を匂わせたり個人情報を晒したりするものなどの危険性を多くはらんだまとめサイト群は今でも危険視されているという話は未だに尽きない話題として持ち上げられていますが、これらサイトの多くには議論性や会議性は無く、掲示板の書き込みやツイートの羅列といった「情報の羅列」が今なお中心です。個人の情報発信にはリスクが多いと今でも言われていますが、昨今はこのフェイクとミスリードの乱立状態の折から、個人の分析情報に注目がされているという話もあります。

スポンサーリンク

そもそもマスメディアはただの商業広告配信業で、ニュースコンテンツはページビュー乱獲の手段に成り下がってしまっているという状況が、この情報戦新時代に於いてどういう状況を意味しているのかを理解していないのではないかと思ってしまう理由になってしまいそうです。公平かつ公正を謳う報道番組がスポンサー企業のアドマネーでガンガン偏向報道を行うという昨今の報道番組のスタンスがそもそもいつから続いていたのかは知る由もありませんが、テレビメディアがその影響力でもって広告配信業を生業としてきた事実はずっと昔から続いてきた話であることは間違い無く、いつから恣意的な偏向情報でもって煽動を繰り返してきたかが問題であり、その背景にどんな情報勢力があり、どんな意図でもってそれらの行為をさも正当性ある行為のように繰り返してきたかが問題なのですが、今となってはそれらを暴くのはインターネットの一般利用者であり、報道メディアが公正と謳い続けた事実のねじれを一般利用者が暴くという考えにくい逆転現象がメディア離れやニュースコンテンツの疑心暗鬼、ひいては個人ニュースサイトの信用性を少量ではあるものの向上させるに至ってしまったという、なかなか本末転倒な話だったりします。

個人の情報分析よりも大衆向けメディアのほうが偏向バイアスが強いというのがかなり異常な状況で、煽り・逆ギレ・人格攻撃といった情報が率先して報道アンテナに乗っかるという状況は個人利用者からすれば見るに堪えられない話であり、しかも日本の報道番組では壮大な「日本叩き」や「政治叩き」がショーメディアとして報道されるあたりにいろいろな疑念や疑問符・陰謀論の類が見え隠れしているようにも窺えます。情報弱者に向けた情報の暴力に気付いたのは本当に平成後期のインターネット普及期以降といわれ、スマホとSNSによる情報検索の簡便化の恩恵がマスメディアの横暴を暴いたとまで言われていますが、今では家電量販店のテレビ売場が「客の社交スペースになりつつある」という噂まで囁かれるほどにテレビメディアは「要らないメディア」になったと言われているようです。真実報道が聞いて呆れるとはどういうことか、そろそろその電波帯域の新しい利用事案を模索して欲しいと願うばかりです。

それに対しての「個人サイト」の位置付けは今でも非力なものではありますが、その非力な個人情報サイトの情報が大手マスメディアの情報信用度よりも信用に欠いているというのは本当に皮肉以外の何物でもないように思います。ニュースサイトの一部には利用者コメントを掲載しているサイトもありますが、ニュース記事よりもコメント欄の書き込みの方がニュースの確信を得ている事例も少なくなく、もう誰が誰のために書いたニュースなのか解らなくなることも珍しくない事態が続いています。もはやニュースサイトはスポンサーマネー以外に興味は無く、報道の正義や公正性など微塵の配慮も無くなってしまったといっても良いのかもしれません。資本主義経済社会である以上は経済の重要性は確かにありはするものの、虚偽や煽りや人格攻撃でもってページビューを稼ぐだけのチラシの宣伝等に必要性はあるのかという疑念は深まるばかりです。

書き綴ってみたら個人サイトを褒める言葉が全然出てこなかったりしたのですが、それでも「企業サイトが個人サイトに負けている」というのは昨今感じている部分でもあったりします。個人サイトを押し上げてきたのは個人向け広告配信などの収益的な部分でもあったりしたのですが、それでもアフィリエイトなどをはじめとした個人広告ビジネスに便乗した個人の情報サイトは今でも伸びしろのあるサイト群として注目を得続けている状況に変わりありません。その判断や解釈は少しずつ大きなずれになりつつあるものの、信用を得たサイトはやはり個人・企業を問わず大きなメディアとして認知・認識されるという形式は揺らがないように感じています。願わくば信念に基づく信用と行動であり、社会性や公益性のある情報サイト運営技術を求める姿勢はインターネット黎明期である20年くらい前から全然変わっていないという事を知るきっかけになった次第です。

コメント

タイトルとURLをコピーしました