価値と意義の違和感について

日記・雑記・私的話題

このブログはイメージとしてはニュースサイトをイメージしているのですが、あくまで印象の上でのイメージであり…このブログの本質部分はというと「掃き溜めの愚痴」です。いわゆる「王様の耳はロバの耳」と叫ぶあのお話にでてくるアレのようなブログというのがこのブログの本質部分であり、特に「発信を意識するブログサイト」では無いというところがミソです。それくらいこのブログの価値は安価で適当なものだったりしますが、ここしばらくの間にちょっとてこ入れというか実験というか…の兼ね合いからちょっとだけ手が加えられています。何が言いたいかというと「このブログは体の良いチラシの裏です」というお話。

世の中には色々なメディアがあり、愚痴メディアやゴシップメディアがその辺に転がるように存在しているように、こういう「チラシの裏ブログ」はその辺にゴロゴロ転がっています。そもそもブログをメディアに仕立て上げた意義は何か? という話ですが、「記録を残すためのデータベースを公開用に出来るように機能化したツール」がブログであり、その記録性の良さがメディアとしての適性を指摘されただけという話であり…ブログは「記録するノート的なデータベース」という意味合いがもっとも近い表現であると考えています。とりわけ私の中ではブログは「クソ分厚いメモパッド」くらいの意味合いであり、それを運用する実験メモみたいな意味でこのブログを運用している次第であり、そんな愚痴ページに価値が見いだされてくれれば…それはとてもすごいことだなっていうことで。

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個人の日記がそんなに崇高なモノとは思えないし、そんなにも崇高なモノである必要はどこにも無い。ただ、ブログという外部向けのウェブサーバーにその情報が載っかって発信状態になるよって言う話であり、それが個人が情報発信するのには向いているんじゃないかっていう気付きが今のブログメディア時代を作ってしまった…どちらかというと「うっかり出来上がってしまった環境」こそが今のブログで色々やっちゃおう時代の背景なんじゃないかって思っています。ニーズの薄いカテゴリのブログサイトは検索しても早々ヒットするものじゃ無いのでそのあたりに相変わらずの善し悪し部分を抱えていますが、そもそもブログは「他人のノート」みたいなものなんだし、十人十色で玉石混交の世界なんだから…という話なんじゃないか。そう思うようにしています。

そもそも何故ブログはこんなにも多機能化を迫られたのか? というと、やはり情報系の商売の関係だと思う次第です。検索エンジンという情報交換のツールの維持運営による仮想世界の対価みたいなものを得るために、若しくはそれによって得られる現実世界の対価を取引するシステムが「企業間での運用」から「企業含む個人もひっくるめて」に切り替わってきたネット普及期に商用性を見いだされたからこそ、ウェブにある多くの個人サイトに至るまでが「商用ベースの運用」を考慮したマネタイズブログなどに変化していったものと思われる次第です。実際に埋もれているだけで価値性の高いサイトというものは実際のところは未知数であり、探しきれない状態にまで膨張しているものだと推測され…今後も膨張は当分止まらないものと思われる状態です。

巨大掲示板にどのくらいの情報価値があるか? それらを収集したまとめ系キュレーションサイトにどのくらいの情報価値があるか? 価値基準は人それぞれであり、ニーズはおおよそ「ゼロではないが限りなくゼロに近い」状態で必要とされているものだと考えられます。なので、多少過疎化が進んでいても「うっかり検索でみつかった」というきっかけでバズることもあるかもしれません。その「ロングテールの尻尾の先端部分たる超レアジャンルの激レアニーズ」はある意味生活分野に於いては役に立たない無駄知識だったとしても、そのスジの人からするととても有意義なものかもしれない…というレベルの話であり、世の中がマニアック認定するような情報界隈でも研究をしている人たちが少なからずいる…という、言うならば「世界の深さ・業の深さ」みたいなものであると考えられる…と言えるのではないでしょうか?

実際に世界の価値観は様々というより無数にあり、それらを共通の感覚で制御するなんて事はほぼ不可能かと考えられる都合…延々とみじん切りのような細かなインデックス化が進むのではないかと思います。ただ、その存在は何かしらのカタチでもって共存する方向を模索できるものとも考えています。このチラシ裏程度のブログにも何かしらの価値や意義があれば…とは考えていますが、深くは考えていません。何となく価値的マッチングがあればいいな、くらいのレベルです。ただ、できれば排斥的なことには結びつけたくはないです。

「価値はひとつじゃない」という理念でもってサイト検索をすると…何だかんだでいろんな情報に向き合えるのではないか、と常々思っています。昨今なにかと人間の価値が年収やらで測られる機会が増えつつあり難儀する機会がある今日この頃ですが、お金の価値はいつか崩れる時が来る事を考えると…もっと多くの「価値の定規を持つ」というのは、意外と色々なシーンで活用できそうな気がしてなりません。何がための教養か、という話になりそうですが…発想の転換という意味でも大事に出来ればと思う次第です。でも、このブログは基本的に愚痴ブログを綴る「チラシの裏ブログ」であることに変更予定は…今のところありません。

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