改めて防災について思うこと

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ここ数年の記録更新級の災害規模を見ると、すでに現存するハザードマップはかなりデータの更新を迫られているのではないかと思う次第であり、言ってみれば毎年災害規模が拡大する前提でもって毎年ハザードマップ更新が必要なのではないかと思わずにはいられません。それくらいにここ数年の自然災害は甚大なものであり、そのためにも私たちは日々の防災意識から防災投資に至るまでの多くを考え直す機会に直面しているのかもしれません。本当にこの2~3年は災害の当たり年であり、多くの都市機能やインフラの多くを破損させるに至った年だったように思います。

都市も各種インフラも更新を迫られているのではないかという疑念ですが、すべては老朽化するものであり、定期更新は必要な経費でもって処理する必要があると考えますが…防災に対する投資というものは「大事が無ければ無駄」と思われている部分を露呈したのではないかと思う次第です。スーパー無駄遣いと言われたアレやらコレやらが有った無かったで色々と災害規模が変動しているという話がまことしやかに囁かれていますが、防災とは予想の元に構築される防衛機能であり、有ったから無かったからによって多くを語れない部分もあるのですが…それでもここ数年の自然災害の規模は想像を絶する規模でもって襲来しており、いよいよ未曾有の防災構想が必要に迫られてきているような気がしてなりません。

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この甚大極まる自然災害群の前に都市機能の防衛力は微々たるものであり、多くの防災機能は何かしらの大きな犠牲でもって成り立っているものだと思う次第です。今回は八ッ場ダムがいきなり機能発揮するという事態でもって周辺地域が保持されたという結構ギリギリな部分でもって繋がった部分があったりもしましたが、それでも各地で甚大な都市災害が報告に上がっているとのことです。街がスクラップ・ビルドで保っている部分もあるのですが、自然の破壊活動の前には人力で築き上げた技術は結構無力であると云うことを知らしめさせる結果になった今回の台風災害。これから取るべき行動について改めて多くを学び取る結果になったと思うのですが…この教訓もまた数年もすれば形骸化する情報なのかもしれません。

もはや毎年恒例になりつつある自然災害。それを完全回避する術はほとんど無いものの、遭遇時にそのダメージを軽減する方法はいくつかあると考えています。防災とはそういった自然災害からのダメージを軽減するための施策であると考えている次第ですが、現実の意識やイメージは…だいぶ感覚的に乖離したものだったようです。ここ数年で災害を免れた地域と、災害の被害を大きく被った地域での違いは、もはや予想しようのない事態への予測と対策に尽きると思う次第です。使わずに済むに越したことがないものへの投資へ踏み切ったか切り捨てたかはやはり被災度合いを大きく変えた部分は否めず、しかし災害規模の大小に関係なく年次更新を余儀なくされる投資は判断の難しいものであることも否めません。それでも防災を取るか、リスクを取るかは…舵取りの悩ましい部分として今後も横たわる問題になると思っています。

「無駄に終わって良かった」というのが防災意識ですが、並列して発生する「災害が起きなければ無駄」という認識をどうするか…これから大きな問題になってくると思われます。無駄を省くのが資本主義思考ですが、必要な無駄という考え方が防災意識的な思考であり…災害列島となりつつある昨今の日本の土地事情から「無駄の線引き議論」はある程度加速して欲しいと願う次第です。失ってしまったものと同じものを創る事は不可能であり、創る事が出来るのはおおよその代替物でしかない…都市機能はこれによって更なる機能向上を図る事が出来るかもしれませんが、そこにある土着的なものやそこにあり続ける自然や生活は完全に失われてしまうことも少なくありません。犠牲をゼロにすることは難しいですが、取り戻せないものを犠牲にすることは極力回避しなくてはなりません

この災害の連鎖がどういった経緯から発生しているかは予測もできませんが、この災害から得た教訓だけは大切に引き継いでいかなくてはなりません。防災とは「生きることそのもの」でもあると考えています。願わくば、次の世代に繋がる防災対策でもってこの教訓を引き継ぐことが出来れば良いのですが…。

実感の乏しい災害予測に対する備えを作るのは本当に難しいことですが、ひとまずは被災地の復興を願いたい次第であり、何か出来ることの模索や発信できる情報の検索などでもって「何か出来無いものか」という話について考えていきたい次第です。被災しなかった地域でも被災地のために出来る事があり、将来のための情報を整理発信できないかと思う次第ですが…何が出来るでしょうか?

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