スマホしか見えないという弊害

時事・事象・社会現象

スマホに起因するトラブルに苛まれる事案が多くなってきているという話がまことしやかに囁かれていますが、笑い話にも出来ないスマホに起因する事故や事案は本当に身近なトラブルになっているという話。スマホのサポート窓口になっているケータイショップで大騒ぎになることが日常茶飯事というのは皮肉な話ですが、生活の向上を謳ったスマホによって生活の品質が劇的に下がっているというのはどういう話なのか。ちょうど昨今「スマホを変えたら人生が変わった」という感じのコメディ映画があったりしたのですが、ながらスマホのもらい事故で人生狂わされたという事案はもう日常の人災として認知されつつあり、スマホはそもそも誰の味方なのかという話のほうが笑い話として持ち上がったりする始末だったりするのですが。スマホに人生を支配されるなんていう話もあながちジョークにならなくなってきているという昨今、世界ではスマホのアプリから個人情報を抜かれるという事案が有ったり無かったりとかで大騒ぎという話だから、スマホの弊害はどこまで行ってしまうのかという話のほうが現実味を帯びていたりします。

情報機器端末としてパソコンが小型化する課程に於いてスマートフォンに辿り着いたという一連のイノベーションは確かに情報社会化を加速させましたが、結果としてそれが社会に良い影響を及ぼしたかといえばすべてがそういうわけではなく、予想に反した弊害に苛まれるという事態を多く牽引してきたと聞きます。今でもスマホの通信設定のためにショップで時間を食い潰す層は一定数は確実に存在し、わかりにくくなった料金プランに野次を飛ばすユーザーも一定数存在し、ながらスマホによる交通事故は減少に転じずに増加傾向のまま。高い端末費に加え破損や個人情報流出リスク、加えてユーザーリテラシーまで不備だらけになってしまったケータイ界隈はおおよそブラック化が著しく、業界の闇に加えてユーザーのモンスター化という災厄を引き連れて現在の日常の一ページとして記録されつつあるという話。21世紀に於けるもっともカジュアルな人災がネギを背負って歩いているといっても過言ではなく、スマホユーザーに警戒せよというジョークが笑えない日々が続いています。

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ガラケーと言われたかつてのケータイが普及した時からずっと言われ続けてきたリテラシー問題ですが、端末の性能と利便性が向上するたびにユーザーリテラシーは反比例し、現在ではスマホユーザーのモンスター化が著しいというイタい社会問題がつきまとうと言われ続けています。盗聴や盗撮といった機器の機能的な諸問題から故意の個人情報搾取に至る機能不全に起因した諸問題は多様化と複雑化を続け、またユーザー層の拡大と低年齢化・高齢化を含めてひとつの社会問題のカテゴリーを形成するに至っています。スマホとその関連アプリがユーザーの本質から本性までを暴き出したとも言われていますが、そのうちの何割かはユーザーの故意や無知によって引き起こされた怠慢の部分であり、そもそもスマホの普及は人類には速すぎたのではないかという議論を定期的に引き起こすほどにスマホの普及には懐疑的な思想は今なお続いているという現状があります。

スマホの普及と個人属性の暴露は、昨今では日常ツールとなったSNSに起因すると言われています。極めて大きかったのはやはりツイッターであり、億単位の人が閲覧するツイッターに書き込まれた情報は文字通り「社会的リソースとして有用である」と位置付けられました。ただ、そこに「個々のユーザーリテラシーは鑑みられていない」という落とし穴があったのですが、そこは未だに緩やかにスルーされ続けているという実情があり、昨今の炎上事案の一角を担う結果になっています。コミュニケーション行為による個人情報や守秘情報の漏洩に加え、カジュアルに行われる人格攻撃や名誉毀損行為までをも社会的リソースとして叩き上げたツイッターは、確かに「社会の縮図としての機能」を提供するに至りましたが、ユーザーの規律規範や道徳といった部分に疑問符を投げつけるきっかけとなり、今日もどこかで炎上事案を焚き付けているという問題提起を続けています。ツイッターを「バカッター(馬鹿発見器的なツール)」に仕立て上げたのはユーザー自身であり、「暴かれたバカにバカが喧嘩を売ってまわる」という阿鼻叫喚の世界がおおよそ2020年のツイッターの実情である…というのが冗談であって欲しいと願わない日はありませんが、2020年の社会問題の多くがツイッターで検索できるあたりにその闇が垣間見えてしまいます。

社会の多様化の様相を素早く調べ上げられるツールとしてのスマホの立ち位置は、今となっては生活必需品と言えるくらいの地位を獲得するに至っていますが、スマホに支配された生活を余儀なくされるという昨今の生活形態は本当に願った世界なのかという疑問は今なお尽きません。検索エンジンの機能向上によって人的思考が弱くなったという指摘もありますし、SNSが社会的地位を獲得する過程に於いてデマを内包しやすいという脆弱性を指摘する意見もあります。また、個人の枠を飛び出したSNS利用層が社会的・政治的な発言ツールとして利用するようになってからはフェイクニュースの類が頻繁に露出するようになり、社会的であるといわれたSNSは胡散臭い掲示板のようになりつつある側面があります。確かにスマホはそれら多くの情報に簡便にアクセスするツールになり、生活の一部として浸透していきましたが、それらに記載されている情報が「社会性ある媒体の情報だから」という理由のみで安全性や社会性をノーチェックにされるのはそもそもどういう話なのか。もっとも、個人の思考でもって考えるべき判断基準がSNSの情報任せになっているというのはこのスマホ時代に於ける最大の懸案事項になりつつあり、スマホに起因する個人の思考停止は今後世界規模で取り組むべき課題になる可能性があります。

生活のどのくらいをスマホ閲覧に費やすかは人それぞれですし、個人の自由領域でもあります。ただ、仮想社会の自由以上に現実社会の自由と規範は尊重されるべきであり、運転中の利用や公共空間での利用、その他周辺への配慮を伴う空間での利用には充分に配慮して欲しい次第です。勿論、仮想社会での利用に於いても尊重すべきものは尊重すべきであり、自由とはき違えた暴挙を振るってはならないのですが。願わくばSNSを楽しく快適に利用したいものですが、昨今のSNSがモンスター闘技場みたいな殺伐空間になりつつあり俯瞰もしたくないという現状に晒されているユーザーが増えてきたとかで、いよいよスマホユーザーの免許制が必要では無いかなんて暴論が議論されているとか何とかで、ユーザー各位にはスマホのモニタ以上に現実の世界を俯瞰して欲しいと願いたい次第です。

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