エビデンス無き粛正の図式

時事・事象・社会現象

最近は無根拠な感情論でもって色々な物議が持ち上がる件が増えていると聞きますが、無根拠な意見を振りかざす人ほど行動そのものが無根拠という矛盾めいた何かが垣間見えるというアレなニュースが多いようでなにやら辟易としてしまいます。突き詰めてしまえば感情論でしかなく、個人の主観であり、要はただのワガママ暴論の類であるという結論であり…もうこの暴論の類に振り回される事案は過去30年くらいその図式を変えることなく続いているという話ですが、そのあたりの根拠ももはや置いてきぼりのナリになっているという無茶苦茶な話。何故、二次元キャラクターのバストと献血と善悪論がひとくくりに持ち上がるのかが本当に彼ららしい無根拠なアレで相当香ばしいという話に仕上がっているようです。

特にオタク界隈で云うならば「アニメ・マンガ=バカになる事案」みたいな図式が勝手にでっち上げられ、気がつけば今なおその理屈でもってオタク叩きは続いているという伝統的なイジメの図式はもはや彼らの中では常套句であり普遍的事実であり、気に入らない相手をサンドバッグにする行為の正当化という「理屈として成立しない暴論」を振りかざす彼らはもはや迷惑人の代表格に成り上がっているという話。SNSで色々なモノが可視化されることによって見えてきた歪な構造図式は結局のところ「大声持ちの気分次第暴論」であったというのを露呈した形になったのですが、彼らはあくまでそれが正義と譲らない姿勢を示しているケースが多いとか。あなたの中ではそうなんだろう、あなたの脳内では

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平和主義者の差別的思想というのはいつの時代にも変わらず存在するといわれている普遍的なものであり、日本ではオタクコンテンツ界隈にて「コンテンツ優越」と「オタク叩き」という矛盾を延々とカタチを変えて繰り返すという図式がその代表格として云われてきています。要は「気に入らないモノの排除」という図式が昨今なお続いているという話なのですが、彼らは美少女コンテンツがそこまで憎いのかを一度たりとも説明してくれませんでした。マンガを国を挙げてもてはやす反面でキタナイものを扱うようにファンを叩くという行為はある種のカルチャーハラスメントでもあるのですが、彼らはオタク層を犯罪予備軍扱いし差別思想を肯定しようと躍起になっているように見えます。

思想に於いては老若男女は関係無いとは云いますが、ちょっと声の大きな人たちが暴論を振りかざしすぎのようにも見えます。多くの事案の際にそれらの科学的根拠の提示を要求してきたはずなのですが、彼らは決まって論点を狂わせ真面目に応対してくれなかったことはオタク歴30年クラスの猛者でも口にするくらい口惜しい話だったりします。SNSがその無根拠の根拠を晒し挙げるまでにものすごい時間を費やしてくれましたが、それでも彼らは過去以上の大声でもってその暴論を増大させて投げつけてきます。かといって、無視を決め込めば彼らは更に大声でもって知らない人々を染め上げようとします。話にならない相手と話し合いをすることを強いられ続けたオタク層の臥薪嘗胆の思いは計り知れませんが、世の中の多くがオタク層同様の「無知無自覚者層」との戦いを強いられている事実はもっと知られて良いと思う次第です。

大声を上げている多くの人々は「その界隈を知らない無知者」であることは周知の事実で、その発言の多くがブーメランのように炎上事案になっていることからも察しがつきます。彼らは第一印象による視覚的情報のみで判断し、その基準でもって大声を張り上げているので…多くの炎上事案の詳細を詰めていくと本当に稚拙なやり取りが見えてきます。昨今のSNSがバカ発見器と揶揄される機会が増えましたが、SNSが名前の通り「社会とリンクしている」ならば彼らは「ネット上でバカを公言している」といっても過言ではありません。そんな素人よりもタチの悪い相手と対話解決をするなどといった無理ゲーの最難関を誰がこなせるかという話ですが、彼らはそもそも解決意思が無いので基本はクリア不可能ミッションでしかありません。トップから底辺に至るまでの社会に於いて、何故かその界隈の上の方の人ほどそんな痛い方が多いのは何故なんでしょうかね…。

人間の知識量なんて、人生を学問に極振りしても脳を満たせるほどの知識量には至らないといわれています。知らない事は何かしら存在し、それらを何かしらの形で学ぶのが人間といわれていますが…学ぶことを拒絶し続ける彼らは本当に人間なのでしょうか? 人間の皮を被った謎の生き物ではないかと思わずにはいられないほど彼らは定期的にトンデモ発言を繰り返します。オタク趣味を嗜むようになって20年以上経ちますが、今まででオタク趣味を公言して虐げられなかったことはなかったです。密教かなにかのようにひっそりとやってきたオタクコンテンツの嗜みがある種の市民権を得た形になった昨今、それらは昨今ポップカルチャーの枠へと進入してきたわけですが…30年くらい前のオタク叩きと同じ図式は確実にいち界隈に存在し、今でも彼らの存在を根底から否定し続けています。これが意味することは何か、それは「問題解決の意思が無い」に尽きると考えています。これはオタク界隈にとどまらず、多くの趣旨の界隈に当てはまるとも考えています。

寛容も批判も、共に自由な表現のもとにある存在です。ただ、その根拠や根底にある感情や理論を説明もしない表現的なものは…それに値するかどうか。表現に於けるこの種の問題はこれからも燻り続けるのでしょうが、もう少々理性的になって納得させる説明をお願いしたい次第です。議論も何もない状態のまま「相容れないから排除」という選択肢を選び続ける人々とはやはりわかり合うことは出来ず、出来るのは距離を置くことや枠組みを作ることくらいなのかもしれませんが…彼らは少なくとも「自主的なゾーニングに割り込んで難癖を付けてきた」という大きな前科があるので、もはや関わりたくないというのが本音だったりします。人間とは、本当にわかり合えない種であると思わずにはいられない昨今。

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