ウェブの海は広すぎたという話

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ここ数ヶ月のGoogleアルゴリズムの変化はかなりの数の広告サイトを蹴散らしたという話を耳にしたのですが、そもそもGoogleの基準をやきもきしながら運営するウェブ活動はこれからも続けられるか…という話が内輪界隈で持ち上がることになって熱弁を振るう機会を得たりして熱くなってしまいました。今後ウェブでの生き方について色々と考えてみたところ、濁流のようなウェブ界隈で仕事をして生きて行くにはやはり適性という問題が課題になってしまうようでして、適性の不足する人たちにとってはこれからのウェブ界隈はイマイチ住みにくい世界になっていくのではないか…なんていう話を延々としていたりしました。そもそもウェブの世界は住みやすい世界なのかどうか、というのも興味深い話。

SNS時代と呼ばれているらしいここ10年くらいの間が過ごしやすいウェブ環境だったかというとそういうわけでもなく、拡大していくSNSは次第に住みにくさを増していくばかりという話。とても興味深くさせていただきました。一定の拡大はやがて破壊や崩壊に転ずるという話はあながち暴論でもないという話であり、昨今のツイッターでの暴論の応酬は日常茶飯事であり、住みにくくなったSNSから身を退けていく人口は少しずつ増えているとか何とか。SNSからブログへの回帰なんて話もありましたが、そもそもウェブ界隈そのものが厄介かつ面倒な世界へと変貌を遂げつつある昨今の事情を鑑みれば…ウェブは厄介なリアル社会の延長線上の世界へと変化を続けているのかもしれません。云うならば、仮想世界も現実の延長世界という話。

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Googleの基準変化は多くのスパムサイトを駆逐してきたという話ですが、同時に一定数の準拠した広告サイトをも飲み込んで駆逐してしまったという話。昨今はウェブ界隈も消費低迷やらの不況のあおりを受けていると聞きますが、そもそもウェブでの広告モジュールは忌避対象のままあまり変化していないのでは無いかという話もあり、結果としてウェブ広告は受け入れられなかったのではないかという話だったりもして…非常にやきもきしている理由の一角を見てしまった気持ちになりました。昨今アフィリエイトを辞めるサイトマスターの話を耳に挟むのですが、やはり不況以前に適性を欠いた感じだったのかもしれません。この界隈が金のなる木だったかどうかは定かではありませんが、そもそも営業ビジネスと考えずに「簡単にできる副業的な何か」として首を突っ込んだ勢にとっては居心地の悪い空間だったのかもしれません。

ウェブが知識の泉であることは多くの集合知である多くのサイトが実証してきた話ではありますが、その利用方法や歩き方といった部分は暗黙知に頼る部分が多かったりしたこともあって、正確性を欠いた伝達を繰り返していたのかもしれません。いつしか間違った基準が標準として刷り込まれ、この界隈で当たり前のように使われてきた…そう解釈すると何となく合点があったりします。ウェブの何たるかを知らない人たちが何となくパソコンを持ってネットに接続しはじめ、今やインターネットが何たるかを特に詳しく知るわけでもない層が大量にネットに接続しているという事実が物語るものは…多くの場合は無知による悲劇なのかもしれませんが、それらすらも今は疑問視されない時代になってしまったのかもしれません。SNSから多くの情報が漏れ出すようになって見えてしまったものがあまりにも受け容れ難いものだったというのは間違い無く、私たちは途方もない世界に足を踏み入れてしまったのかと呪わしく思う機会は確実に増えてしまったと思わずにはいられません。

ウェブが暴いてきたものの多くは、絶望要素を多く含むものだったのは間違い無いと思われます。学校教育で教えられたものや将来の青写真に至るまでの多くが事実無根の未来予想図でしかない「ただの希望的観測」でしかなかったという話は昨今のSNSでの政治経済などの情報が証明している部分であり、21世紀という未来はまったく明るくなかったという半世紀ほど前の夢を破壊する現実を見ている次第です。いずれ知ってしまう未来であれば、それは早めに知って良かったことなのか…その決定権は誰にもありませんが、確実に言えることは私たちはこれからも壮大な「責任転嫁合戦に無理矢理参加させられる」という話でしょうか。これから数年後には保険制度の一角は確実に崩壊すると囁かれており、年金制度の破綻も時間の問題と言われる昨今。20年くらい前には未来の技術だったネット接続技術によって暴かれた事実はあまりにも受け入れがたい結果を通達したために私たちは混乱を禁じ得ない状況に陥っていますが、これからもっと巨大な混乱が到来しないとも限らない状況が目の前に確実にやって来るという未来予想図がそこにあるわけで…。

新しい時代には常に挑戦的な巨大な壁が立ちはだかるのがセオリーですが、いざ目の前にその巨大な壁が立ちはだかると…人は戦慄してしまうものでして。20世紀の常識が21世紀に入って一通り破壊されて、それを新しい常識として受け入れることも難しくて。いずれウェブという技術を通じて得てしまうであろう事実との接触は早ければ良かったのか否か、ウェブという世界に飛び込むことは正しかったのか否か…多くの謎を問いかけるウェブからの情報量は人間の脳の限界を簡単に凌駕してしまうほどで。あと10年もすればその謎かけの答えも出るのかもしれませんが、常識の概念が数年単位で変化する時代はいささか消耗の激しい世界でもあり、この時代の濁流が何を意味するのかはおそらく永遠に解らない世界なんじゃないかと思ったりもします。

いつかこのブログのどこかにも「知る後悔と知らない後悔」の話を書いた記憶がありますが、世界を俯瞰視できるスキルは得てして持ちたく無いと思わずにはいられません。知欲は時に恐怖をかき立てる、知ってしまったら忘れることなど出来ないという話。

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