国会討論に日本の未来の話は無い

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日々の国会中継がなかなか酷い様相を晒しているということですが、そもそも彼らは国家の何が重要なのかを理解しているのかという疑問の念が尽きない内容になっていて、「ここに国家や国益を語る人はいないのか」という気持ちで一杯になりました。秒単位の刻を争う感染症と、後からどうにでも討論の時間を割ける会合の話。どちらが緊急性の高い議題かというのがそもそも彼らの脳内には見当たらないようで、私たち電波の向こう側の傍聴席勢は困惑の念と共に「彼らは微塵も支持しないだろう」という決意を固めるには充分という話でした。安倍政権のすべてを支持するわけではないにしろ、その支持しがたい政権よりも質の低い政治的発言に日本の何を託せるかという話であり、実際のところ日本政治の枠組みなんてもうとっくの昔に崩壊していたのかも知れないという危機感すら覚えてしまいます。

汚職と揚げ足取りと政権混乱の話はワイドショーだけのものかと思ったら公共の電波でもって公的機関で行われていたという話であり、政治ショーみたいに仕上がった国会中継がもはや子供の喧嘩レベルのやり取りしか放送に乗っておらず、これが多大な犠牲を経てまでして得た日本の未来像かと思うと苛立ち以外の感情が出てこないんじゃないかと思う次第です。政権を破壊して日本の基礎を破壊して彼らは何を求めるのかという話ですが、彼らにとって憎いのは政権であり、現政権を破壊するためならば日本の未来がどうなってもいいという話であり、いったい彼らは何と戦っているのかという疑問の念が尽きない事案なのですが、彼らの脳内で「打倒・安倍政権」のために「手段を選ばない施策」を講じているあたりに日本の終焉が見え隠れしています。日本の未来を破壊してでもこの政権を破壊すると公言しているあたりがすでに狂気の沙汰なのですが、やはり彼らは日本の未来とは関係のない人々なのでしょう。

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日本の未来を議論するはずの場所で痴話喧嘩というのが日本の日和っている実情を物語っている感じになっていますが、昨今の政治の舞台上の人々の脳内はそこまで求心力の無い思考で出来上がっているのかと思うと納得してしまうあたりに時代の愚策が見え隠れして見えます。求心力云々よりもそもそも政治の話が大幅に少ない国会中継はもはやある種の放送拷問であり、この痴話喧嘩レベルの討論ごっこが日本の将来を左右するのかと思うとどんな気持ちで言葉を綴れば良いか考えてしまいます。そもそも世界規模で政治の基幹部分の発想転換が求められている昨今の混迷を極める時代背景に於いて、微々たる「やった・やらない」の押し問答がどのくらい重要性があるのかをまず彼らに説明してもらいたい次第ですが、彼らはどこかのキレ芸人なのかと思うくらいに怒鳴り散らすだけで何の回答も示してくれないことは火を見るより明らかなので…そりゃ、総理もキレるという話。

政治に関心も無く、現状把握能力も微々たるものとなると…彼らの存在意義そのものがいろいろと怪しくなってくるのですが、そもそもバブル経済崩壊後の日本の方針転換が色々マズかった部分の積み重ねがこの状況であり、おおよそ平成時代の多くをその混迷の突破に費やしたことを考えると…私たちは根本的問題の解決失敗のツケを30年規模で先延ばしにしていることになるのですが、その平成の約30年の間に現政権が何年間その座についていたかというのを考えると鬱蒼と込み上げてくるものがあります。現政権は2度目の席であり、政権交代が失策だったことの象徴とされているようですが、実際に政権交代による失政が否定出来ないあたりが既に求心力の無さを物語っており、政権交代の数年間が「スーパー無駄遣い」と揶揄されるくらいに評価されていないあたりが、平成という時代の回想を「無かったことにしたくて仕方ない」感あるものに仕上げているようにも思います。

彼らと、彼らによって牽引されている日本という国家がこれからどんな迷走を見せてくれるのかは「この国会中継に参加している人々の手腕」にかかっているのですが、私たちは少なくとも彼らが信用に足る人々とは微塵ほどにも思えません。「対案を出せ」と喚く彼らが「対案らしい対案を出したか」といえば思い出せない程度の量しか提示しておらず、それも的外れの時代錯誤も甚だしい対案とは言い難いレベルの「暴論」ばかりとあれば…現時点の与党と野党のどちらを取るかという話。正直どちらも取りたくないという気持ちが強くて仕方ないのですが、選ばなくては国家運営がままならぬと云う話であり。それとも彼らは意図して「無政府状態を作りたい」と願っているのかどうか、彼らはそもそも日本の未来を放棄する気でいるのか。モリカケに始まった政権追及のタネがどこから出てくるかはさておき、この数年間に議論らしい議論が出来たかどうかは非常に懐疑的であり、この様子を見た若年層にとっては日本の未来を諦めるには充分過ぎるほどショッキングな映像だったのは間違いないのは…まあ、その現実は重い。

国境線はある意味で「価値観の境界線」でもあると考えています。海を隔てた彼らの考え方は私たちの尺度の思考とは隔絶されており、その根底から思想全般に至るまでがそもそも違いすぎており、多様性の許容範囲を大きく超えるものであったという話に帰結すると思っています。私たちの多くは「多様な価値観は受け入れられる」と考えていましたが、彼らの思考は「多様性を楯にその土壌を食い潰す」ものだったと知ったのは比較的最近になっての話。排斥思考は退廃的だったというイメージは実は一定の合理性があり意味があったという結論に至るのはひどく屈辱的な部分でもありますが、会話の出来ない相手に対話を申し込むことがどれほど愚策だったのかという「実績回収」という意味では、このイタい現状の垂れ流しは「現状確認という意味では重要だった」のかもしれません。

仮に現政権が打倒され「無政府状態が形成された場合」の話はなかなか興味深い「もしも物語」ですが、仮に野党が政権奪還を果たしたとして彼らの言葉をどれほど受け入れるだろうかという話はなかなか思う部分であり、さじを投げて日本を放棄するところまでが実はシナリオなのかも知れません。もっとも、もしも物語を語らうよりも目の前の惨状の対策が先決なのですが、決断も妥協も出来ない烏合の衆と化した野党勢の牛歩戦術を見る限りでは…逃げる先を考えて日本脱出を計画した方が生産的なのかも知れません。

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