自動車工場で働いている作業員が必ずしもクルマに詳しいとは限らないように、世の中には誤認されている事実が結構あるのが実情だったりします。極端な話だと、政治家が政治的に専門的知識があるかというとそういうわけではなかったりするのもまた事実のひとつであり、昨今はSNSにて政治無知ぶりを披露するという事案が定期的に上がってきたりする事があるあたりからも察することが出来るように思います。業種や専門性に関係なく多様性が必要といわれる昨今は専門職に対して過度な専門性を期待しているのかもしれませんが、現実は意外と非専門分野によって繋がっているだけという事実は結構あったりします。実は期待過剰だったというより、勝手に期待してそれが実は違っていたというか…なんというか。
仕事に専門性が必要と言われれば確かに必要ですが、専門性ある仕事を支えるには実は多様な非専門分野が数多く必要だったりする実情はあまり知られていないようにも思います。コミュ障でも営業スキルは必須だし、ライン作業でも一定の専門知識はやはり必要…必要性を感じなくても実は必要というスキルは実は大量にあります。故に、自身には欠けているスキルを補うための人事人選というはやはり必要不可欠であり、それに加え読解力や分析能力もやはり必要であり、決断力や交渉スキルも実は必須スキルだったりと…この世界を生きるには必要とされるスキルは死ぬほど沢山有ります。それらを個人ですべてまかなうには確実に限度というものが阻む要因であり、実際の仕事やら何やらは多くの人を介してはじめて実現するという話だったりします。
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昨今の政治不信はやはり政治家と呼ばれる人たちの「政治と政治以外の知識量への疑問符」だったのではないかと思う昨今、政治という仕事はやはり「総合的国際経済学」ではないかと思う次第だったりします。国内と国外との考え方の埋め方や交渉術、非専門分野に対しての人選や解釈による見識の溝の埋め方など…その知識や判断に及ぶ分野は非常に幅広く、そもそも政治を安易な国益の運用術と考えている人が実はあまりにも多いんじゃないかと思う理由にもなった次第です。現政権が不満を抱かれつつも延々と政権を維持しているのは、具体的な打開策や方針を打ち出せずに感情論剥き出しの対抗策ばかりを打ち出している「無為無策の野党」に尽きると言われていますが、否定的に言えないくらいそれが的を射ているのでつらいです。
国益のベクトルをしっかり説明するのはどんな世界のプロでも難しいですが、はっきり言えるのは「安定の裏には一定量の犠牲がある」ということです。大戦後のそれなりの平穏の時代は前大戦の犠牲の教訓が故に創られた部分であり、先日の台風被害回避の一部は一定地域の犠牲によって得られた治水機能の恩恵でもあり…私たちはその一定の犠牲の恩恵に感謝するべきところは多いと考えています。すべての人が満遍なく幸福を得られるのは最高レベルの理想論でしかなく、何だかんだでその理想のために一定量の犠牲は払われているというのが実情のように思います。その一部の人々からは強く非難されるのは必要悪であり、その一部の犠牲によって大多数の平穏が担保されている事実があり…私たちはもう少しその犠牲に対しての敬意について考えなくてはならないのかもしれません。
これについて話をするうえで「自国至上主義」というのは回避できない話だったりしますが、それはごく普通の思考であるとも考えています。国益とは「自国の公共利益」であり、同盟国の利益の保護は「自国の国益ありき」であるのは…酷い言い方でも仕方ない思考でもあると思っています。日米同盟の方向性がその時の指導者によって色々転換するのも「自国の国益ありき」なので、その方向性の転換によって色々と揉めるのはある程度のリスクとして受け止める敷かないのかもしれません。大事のための小事とはあまりにもアレな言い方ですが、その小事とされる犠牲によって大事を回避できるのであれば…被るべき汚名なのかもしれないという考え方もまたひとつの国益思考であるとも考えています。
とりあえず「安倍政権が憎い」と言って止まない人たちが、現政権より魅力的な政治論とそのロードマップを提示したことはあったかというと…疑問符しか有りません。少なくとも彼らを政治家のカテゴリとして見るのは難しいという判断をせざるを得ない実情を鑑みると、野党はどこかの三流サラリーマンのようにも見えてしまいます…とりあえず議員報酬をもらいながら国会のボイコットという事態を見た私たちが彼らを擁護する理由が見当たらないのは間違い無いです。現政権が非常に良いかというとそれはかなり強い疑問を抱いているのは間違いないですが、それ以上に酷い回答しかしてくれなかった現野党勢の話が無理以外の何物でもないと判断せざるを得ない都合…政権交代なんて大事が起こるとは考えにくいという結論に至るしかないように思う次第です。
本当の専門職というのは、得てして多くの知識を持つ「総合的知識人」に集約されるのではないかと考えています。その上で専門分野の知識を多大に有し、かつそれらを生かす術を得ている人になるのかもしれません。企業体が人事教育を放棄し、学校機関が教育そのものを軽んじている昨今の社会情勢を考えると…いかにしてこの修羅場のような時代を生きる知識を独学で学ぶかというのは重要な事になっていくと思う次第です。企業の影響力がいくら強いとはいえ、これからは個人が個人でもって糧を得ていく時代へとシフトを余儀なくされるであろう昨今の時代背景からも、専門職一本で生きていくという考えを改めていく必要は…もうそこまで迫り来ている危機なのかもしれません。専門界隈の人には到底及ばなくても、私たちも最低限度の知識を「一般教養」くらいには得ておく必要がありそうです。


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