ブログの斜陽化についての考察

日記・雑記・私的話題

ウェブ2.0の時代が来ると数年前には多くのウェブ界隈の人が提唱を続けていたのですが、ここ数年のSNSの経過からその発言の多くが撤回されるという憂き目に晒されるという事態になりました。ブログの多くは斜陽化の一途を辿った理由については多くの考察論が上がっていますが、「炎上するウェブ事情」に多くが起因していると言われユーザーのリテラシー不足を指摘する声が多く、そもそも十数年前のブログ誕生期がイージーモードだった理由は「アンダーグラウンドで育った相応に修羅場を乗り越えてきたユーザーによる向上心的な環境」であり、スマホ普及期に至った昨今のユーザーリテラシーの劇的低下に為す術もなく陳腐化を余儀なくされたという印象の方が強いように思います。昨今、ブログのコメント欄はもはや利用価値を失ったとまで言われるほどにその機能がスパムの踏み台にされており、交流の土台として機能することを期待された多くの機能はここに来て途絶の予感を漂わせています。

ウェブ2.0の根拠は「交流によるウェブの活性化」を謳ったものが多かったようですが、実際はその真逆の利用のほうがその頭角を先に現したといった方が良いのかもしれません。性悪説的利用によって性善説的利用は駆逐され、多くのウェブ界隈の機能や性質・サービスの指向性は性悪説基準に切り替えられたと聞きます。すべてのウェブサービスは悪用されるという意図の前提はいくつかのサービス界隈を救ったとも聞いていますが、それ以上に遅れを取りサービス価値を失ったサービスの方が数が多いと聞きます。日本のウェブ界隈はグローバルのそれにくらべ極めて鈍重な世界であるとも揶揄されガラパゴス化していったウェブサービスは結局のところグローバル界隈に進出することなく、それどころか国内需要の混迷にまで至ったサービス界隈に於いて大きな遅延を余儀なくされ、多くのウェブサービスは撤退に至ったとかそうでないとか。もしかしたら日本の性質上、限定的なクリエイティブ以外のものは創成されないのかもしれません。

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昨今のツイッターを俯瞰していると、もはや「交流の類はSNSで生まれ、ブログには閑古鳥以外は寄りつかない」とまで言われているようです。酷い言われようだと思いますが、現在ブログサービスが抱えている問題の多くが炎上を含むコミュニティ機能にまつわる問題であり、コメントスパムをはじめとした機能的問題の解決に追われているという話。SNSで日常的に炎上事案が噴出しているあたりもはや冷静な議論などは存在せず、ページビューと自己満足以外のコメント意図が存在しないとまで言わしめたブログ界隈は大きくその指向性を二分され、情報集約型のコマーシャル系ブログと旧来の日記型ブログに分割されたという話であり、そこに議論や交流といったかつて求められていたものが失われているという実情は多くのアルファブロガーを引退や撤退に追い込んだとまで囁かれているとのこと。おおよそ十数年続いたブログの時代は衰退期に入ったとまで言われていますが、そもそもこの機能的サービスがなくなる予定はなく、あくまで日本国内の個人利用に食い込む問題程度の話になりそうですが。

これらに付随したいくつかの考察論がありましたが、ブログ誕生期に一世を風靡したアルファブロガーたちの後継を待たずしてブログは斜陽化を辿ったとも言われています。彼らの多くがブログの将来性に期待を寄せたものの後継たる次期ブロガー世代は多くがSNSの影響力に翻弄され、発言の多くはSNSへ移行し、ブログはマネタイズの土台へと変化する方向へ舵取りが進んでしまいました。ブログが文筆の拠り所になることを期待したこととは裏腹に文芸的なブログのルーツは画像や動画へと舵取りが進み、今ではその求心力の多くはYouTubeをはじめとした動画界隈へと移行が進んでしまいました。検索エンジンがまだまだウェブで大きな求心力を維持しているとは言え、その土壌として形成されたテキストウェブはその環境変化を迫られ、昨今純然たるテキストブログの位置付けは随分と追いやられたようにも思います。そもそも140文字習慣を作り上げてしまったツイッターによって「長文を読む習慣のない利用層」が確実に増えてしまったことも、ブログ衰退の一因になってしまったのかもしれないとも思えてしまいます。私たちの語彙力は140文字に縛られてしまう日が来るのかもしれませんが、現実はもっと切実な問題にまで発展している可能性も考えられそうです。

読むこと・書くこと・伝えること、それらを構成する多くの要素。ブログを書くことが大変であると思ってしまう理由はおおよそそこにあると思う次第で、これらは仮想読者を想定した擬似的キャッチボールであり、それらを組み合わせて意図したことを表現することは生半可な労力ではないという話であり、ブログが三日坊主メディアになってしまった一因でもあるのはそこにあると考えている次第です。私たちが日々行っているコミュニケーション行為の多くが「自分を基軸とした片道キャッチボール」であるがためにこれらを難しくしていると捉えているのですが、もともと双方向を想定したキャッチボールを仮想読者に向けて行う事そのものがハードルの高い文芸趣味の領域の行動であり、「簡単にできる超難易度の趣味」がブログであったという話に帰結してしまったのがおおよそこのブログ界隈に発生した事態でもあるのですが。「伝える趣味の難しさ」がそこにあり、もともと隆盛した理由はそこにコミュニケーション能力の高いユーザーが相応にいたことに起因しているという話であり、ましてそれらをブログ飯にまで昇華させるにはどれだけの労力と開拓力があるかという話であり、趣味とするにはあまりにもハードルが高く、副業に充てるにはもっとハードルの高い世界だったという結論。この世界そのものがニッチメディアのさらにニッチ分野だったのかもしれない、と仮定すると何となくしっくり来るのはそういうことなのかもしれません。

コメントもトラックバックも求められないブログは随分と味気ないと思いつつも、それらの機能をオンにすることで享受されてしまうストレスは甚大で、その裏にはブログメディアを使ったマネタイズのノウハウがあって。誰も望まない、誰も好きで飛び込んでいないブログ界隈を俯瞰し続けることになるとはあの頃は考えもしませんでしたが、多くの人が日々日記を付けるという行為が維持できないように、この世界に飛び込む趣味行為そのものがある種の修行めいた行動でありそういうことだったと考えると…これからある程度の時間を経て、この界隈は本来の「文芸趣味者ないし情報発信者のメディア」に回帰するのではないかと思う次第です。おおよそのブログメディアはSNSにリンクされ、SNSへのハブメディアとして機能し、交流と発信の分離が行われた少々複雑な構造へと変化はするものの、SNS交流を基軸とするようになった昨今はそれがスタンダードなブログとして新しいロードマップを歩む。言い換えれば「私たちはブログが次世代メディアであると錯覚して、かれこれ十数年これらに尽力してきた」という話であり、注目したそれはそもそもニッチメディアだったと結論付ければ…まあ、そういう話だったということなのだと思う次第です。

それでも、ブログ飯という一連のマネタイズブログはウェブ界隈に一石を投じ相応にその道を認知に至らしめた、いわばエポックメイキングだったと思うのです。

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