最近は何をするにしてもコストパフォーマンスの善し悪しをまず真っ先に確認されることが多くなりましたが、「急がば回れ」ということわざがあるように「人それぞれコスパの善し悪しは違う」という話であり、そもそも予算のケチりが重要なのか最終的な効率の良さが重要なのか解らなくなってしまっている事案や案件をよく見かけるようになりました。また、どちらを採用するかにしてもその過程や判断基準がそもそも的を射ていないケースも増えており、ただ単に「ケチりたい」とか「面倒くさい」とかそういった次元のコスパ追求が目立っているようにも思います。そもそもコスパは何なのか、何を基準にパフォーマンスを追求するのか、目的となる一点が定まっていない「何となくコスパ良いのは無い?」が増えてきているようにも感じており困惑する機会が増えています。「良い仕事は相応に高くつく」や「予算を組めないような状況ならそもそもケチな依頼をするな」などの啓発を勧めたい次第ですが、なかなか受け入れてもらえません。昨今指摘されている「日本の派遣人事」ですが、ある意味「ケチの真骨頂」が作り出した「芸術的な搾取構造」であり、無限にケチな思想がループする「無尽蔵デフレ製造マシン」だと考えています。
業務や請負関係だけでなく、趣味界隈にもライフハックの一要素としてコストパフォーマンスを確認されることがありますが、趣味界隈に関しては本当に別腹・別案件であり、コスパを蹴ってでも我が道を突き進むのが趣味の道であり、コスパで得られる趣味のエネルギーなんて本当に一般常識程度の熱量でしかないのではないかという疑念がついて回るのがこの世界です。いつ頃から多くの事案・趣味活動がコスパ基準で語られるようになったのかは知る由はありませんが、趣味の上位互換は「未知の探求」であり、いばらの道しか存在しない業の深い世界です。コストの妥当性や正当性くらいは知っておく必要はあるものの、この世界で求められるものは少なくとも「コストで測れる程度の熱量」ではありません。出費がかさむ趣味というものも多々ありますが、巡り巡って「学び」はコストも時間も労力もかさむ行為であり、どれかひとつ掻い摘まんでもコストで語れないような世界があります。この中から敢えてコストの良いものとなると、やはり学びの世界から切り取っていくのが妥当であり、良い知識をえることで趣味世界を突き詰めていくというのが理想の趣味の嗜みだと考えています。何が言いたいのかというと、趣味は総じてカネも時間も体力も社会的なアレコレもすべてかさむ「人生そのもの」という事をもっと知って欲しいという話。
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短時間でサクサクと得られる情報はやっぱり限界があり、さらには当人の知識と理解量によってその情報量というものは更に目減りしてしまうものです。その中でも、少ない情報量で得られる高効率な情報のカテゴリといえばやはり生活習慣などの身体的行動を伴う知識であり、これらは極めて少量の情報量でありながら習慣に依存する行動を促すことでパフォーマンスに還元するというものです。情報量としてはささやかなものですが、結果として「習慣構築までにものすごい実行エネルギーを必要とする」ものであり、総合量で判断すると実はそこまでローコストというわけでもなかったりします。習慣矯正に出費を伴うケースも珍しいものではないので、本当にこのあたりは「個人差があります」な事案。本当のコストパフォーマンスは「かかった費用」ではなく「総合的満足度をどのくらいの負担で得られたか」に尽きると思うのですが、コストパフォーマンスの本質はどこにあると思いますか?
趣味の本質についての議論
趣味行為・活動については「個人の価値観」が基礎になっており、その価値観の延長線上に「趣味としての認識」があるといわれている。属性としては「知識的な行為」や「所有欲求の充足」などがあり、結果としてそれらはどれも「効率の悪いもの」であることが多い。知識的な探求も所有欲求の充足も結局のところ時間・費用・労力が膨大になってしまうことから「コスパ論争は無意味に近い」というのが古い時代から趣味界隈人の認識になっていると言われており、主に新規・若年層と熟年趣味層との間で定期的に議論のネタになっているといわれている。
昨今、趣味界隈などでも時短効果を狙ったハックというものが認識されるようになったと聞きます。趣味界隈の知識量はジャンルにも依りけりかもしれませんが、時短で掻い摘まんで得られる程度の緩やかな物量ではないことの方が多く、結果として誤認や誤解の類に阻まれるといった事態に陥りがちとも聞きます。アニメ視聴が趣味と言いつつ、時短効果を得るために時短視聴が一部で推奨されているようですが、それで満足する程度の趣味はなかなか語りにくいと思います。何故なら「趣味ガチ勢の趣味の熱量」の前には「その程度の熱量」としてしか認識されず、また作者や制作陣が意図した演出も「時短でそれが伝わるか」といえば「そうはならないだろ」という話。アニメ視聴の件で語るのであれば「限られた枠組みの中で高い熱量をもった感動を共有すること」であり「あらすじの羅列のように浅い情報量を共有することでは無い」となってしまうのかと思う次第です。すべての世界でそれが通用するというわけではないのですが、少なくとも「趣味=深く向き合うこと」という認識ではあると思われ、「時短=探求意思が乏しい」という認識があるのも間違いない部分です。偏見もかなり加味している部分ですが、自発的に探求欲求を刺激されないものが果たして趣味になり得るのかどうかは意見がわかれるところですが。
仕事界隈のコスパはというと、もっと激しく「ビタ一文出したくないほどのケチな意見」に収束します。業務相場を知らないとかそういうレベルでは無く、ある種の無知と無自覚から来る価値観のズレと「勿体ない感」に尽きます。その価格で誰が請け負うのかというような数字は昨今当たり前のように提示されるようになり業務関係者を困惑させていますが、人間の価値をここまでダンピングしてまで何を得たいかというのをもっと追求したくなります。私たちの知りたいのは確かに総合的なコストパフォーマンスなのですが、そこには「絶対にケチれない一線」があるはずであり、その一線を踏まえた上でのコストパフォーマンスなのですが。いつからここに「圧倒的低コスト性こそ至上という思考」が入り込んできたのか、多くの人がそのギャップに悩んでいるものと推測されます。スポンサーに金を撒いて欲しいというのはおおよそ多くの業務関係者の魂の叫びなのですが、そこに「適正相場という知識」を踏まえて欲しいというのは昨今かなりの状況下でスルーされるという事態だとか何とかで色々と思うところがあります。
「人生投資」に帰結するという「趣味の捉え方」に関して
知識趣味であれ物的趣味であれ、それらは「誰かと認識共有してはじめて趣味として昇華できる」というのが多くの趣味人の認識だったが、昨今は一方通行的な趣味の展開が一部で問題視されるようになっている。迷惑行為に及ぶものや中傷誹謗を伴うものは特に多くの場所で議論のネタにされている。ここには古参層と新規層との価値観の相違があると言われており、多くの議論は平行線を辿る傾向にある。特に「お金のかかる趣味」に関しては議論の拡大化が多く観測されており、物的価値の問題と知的価値との折衝の機会は増えていると指摘されている。特にSNSなどで「金銭的マウント」を狙う「いいね投資」は激増傾向にあるといわれており、趣味人界隈に疑問符を投げかけるきっかけになっている。
コロナ禍で給付があった「持続化給付金」という制度でしたが、あの「ばら撒かれたお金」に係る諸問題で多くの紆余曲折を観測するに至りました。結論として「日本社会はケチ気概」であり「長期投資に疎く短期的利回りにうるさい」などの情報を観測し、多くの界隈で今なお悔恨を残した議論を起こしているようです。投資行為の多くはギャンブル性が高いと言われているのであれば、誰に対してギャンブルを図るのか。少なくとも「国民にばら撒くのは無駄の骨頂」と思われたのであれば、それは「日本の未来に何も期待できてない」というメッセージにも受け止められるのですが。まあ、そこは色々と想像にお任せしますと云うことで、「今と未来のどちらが重要か」という話。
結局の所、最初から最後までコストパフォーマンス至上を唱えている所というのは総じてどこかで無理のある事をしようとしているのかもしれません。趣味も仕事も、学習と研究・最適化などを経てはじめて効率化を着手できるものであり、願わくは「無理なく・安全な」趣味活動・業務活動へと繋げて欲しいものです。継続は力とはいいますが、継続を阻害する要素を足す行為は純粋に「趣味の阻害」でしかないわけで。



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