依存症とのつきあい方

日記・雑記・私的話題

習慣と依存症はある種の二律背反であり、「良い習慣」はそのまま「習慣」として、「悪い習慣」は「依存症」として区別されているんじゃないかと考えています。現実の認識は多少の誤差はありますが、おおよそ依存症として区別されるものはおおよそ「悪癖と認識されるカテゴリの習慣」であり、疾患のひとつと言う認識で支障ない状況になっているようです。習慣化して生活や身体の一部として身についた依存症の類は「疾患として認識するのであれば治療困難な難病」であり、労力対比で考えるのであれば「上手く付き合う」のがある種の妥当な判断であるという認識に至っています。

この世には依存してしまう対象が多すぎ、依存する理由の多くは精神的なものが原因といわれています。ただし、記憶された習慣を変化させるのは想像を絶する労力が必要になるケースが多く、また依存対象の多くは脳内物質の分泌を狂わせるほどの影響力を及ぼすものが多いことは意外と認識されていない問題でもあります。アルコールやニコチンなどの「体内に影響を及ぼす悪習慣」や、ギャンブルなどの「精神衛生的に問題を伴う悪習慣」など多様化している依存の体系ですが、個人の努力で解決困難な依存症というものも実は多く、一度及んでしまった依存症と対峙することの困難さを物語っています。何より、誰だって依存したいものがひとつ以上は確実に存在するという話であり、この事案は「人間の精神的弱さの理屈」としても認識されているとかそうでないとか。

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「人の精神は快楽を求めるように出来ている」なんて言葉があるようですが、それが道理であれば人生はおおよそ無理ゲーという話であり、「禁欲系の習慣=習慣」と「快楽系の習慣=依存症」という判断はあまりにも乱暴な線引きですが理屈的にはおおよそ一致してしまうと云う話でもあり、いろいろと難しさを感じる限りです。依存症がひとつの精神疾患として認識されだしたのは比較的近年になってからの話ですが、その対策に関しての認識や議論の展開はまだまだ遅々として進んでいない実情があります。依存のメカニズムがある程度特定出来たとしても解決に至らないのが依存症であり、昨今はかなり大きな社会問題に発展しつつあるという現状を抱えています。結局のところ、どうすれば良いのか?

「依存」との戦いの歴史

歴史の上での依存症との戦いは「宗教的な慣習」でもって対策を試みたという記述があるが、過去の人類史に於いてその成功は限定的であり、それによる弊害の方が多かったと言われている。「人間の快楽依存を加速させる要因」は一度認識された時から認知が加速的に浸透し、いつしか歴史上に於いて多くの悔恨を残す結果になっている。アルコールやカフェイン、麻薬から宗教的慣習に至るまで、人の歴史には「依存関係との戦い」があると指摘する意見も多い。

結局のところ「悪癖である」以上は駆逐対象にしなくてはならないというのが社会理念から導き出された回答ですが、そんな都合良く脳内物質に働きかける物質があれば苦労しないという話であり、「依存対象を社会から追い出す」か「生活圏内へ近づけないなどの自衛策を模索する」くらいしかできないというのが現実問題。厄介なのは、依存対象が法的規制物でも脳が求める限りその悪癖に突進してしまう行動を起こしてしまうという人間のメンタリティに具体的対策がないという事と、そもそも依存対象が人間の精神世界のものだと対策の施しようがないという事など、実はさりげなく社会も依存症に一役買っている事案もあるという話。「触れてしまったら終わりというある種の無理ゲー」の要素は近年無尽蔵に増えており、身近なツールで引き寄せられてしまうことも相まって「人生の難関」になりつつあるのは認識できても解決出来ないという悲しい人間の宿命。

ちなみに、依存症のメカニズムは「快楽を感じる脳内物質にある」と言われています。アルコールやニコチンなどは身体へ直接的に快楽感を、ギャンブルなどは間接的に快楽感を与えると言われており、「間接的快楽とは何か」というと「それに触れることによって達成感や利益などを伴う『状況の変化』にある種の快楽を感じてしまう状況」と何かの時に聞いた気がします。勝負事が「利益を賭けた戦い」であると定義するなら「勝つこと=快楽」は確かに成立するものと思われます。

ただし、得てして依存症は「何かしらのリスクを伴う行為」という側面があり、そのリスクによって不利益を被ることが問題であり、「不利益の蔓延が社会的に良くない」という理由から来ている部分でもあります。即決即金のギャンブルなどは超短期的に多額の金銭的損得が発生する都合上もっとも酷い悪癖のひとつとされていますが、ギャンブル依存の末期といえば負債の連鎖であり、負債を抱えた瞬間に負の連鎖の退路が断たれてしまうという話。そして、「大勝ちした経験があればあるほど新しい退路形成が困難になる」という話で、勝利経験が脳内物質に与える影響力の強さに戦慄する事案の定番になっています。「覚えてしまった快楽に抵抗することほど苦痛を伴うことはない」と言いますが、多くの人が何かしらの依存癖を「つきあいなどの理由」でもみ消しているのも大多数を占める理由であり、この事案が解決困難であることを物語っています。

依存症脱却のトリガーについての考察

依存症については「習慣性」があるという指摘から、習慣の変化でもって対応を図るケースが多いが、支障の少ない分野への「別ベクトルへの依存」を図ることによって「意図をそらす方法」が採られるケースもある。「脳内での快楽優先順位を入れ替える」という方法はかなりハイリスクではあるが、社会的実害の少ない依存で実害性の高い依存症を書き換える方法も「ひとつの有用な方法」と指摘するケースもある。ただし、依存度や社会的実害について深く考慮する必要があり、対策可能なケースはかなり稀だとも言われている。

多くの依存症は代替行為でもって埋め合わされているとも言われています。たとえばギャンブル依存への代替行為はおおよそ(法的にOKな)副収入でもってある程度の解決策に繋がるといわれています。多くのギャンブル行為はお金がそのトリガーになっている都合、代替的な金策と行動制限がしっかりすればかなりの高確率で脱却できると考えられているという話。アルコールやニコチン依存は生活習慣を改善するきっかけが得られれば逆説的に習慣化で解決が望めるという話であり、同じ習慣属性なので「習慣で習慣を駆逐する」という発想でわりと何とかなるという話もあります。唯一、絶対に取り戻せないものは「それに消費した時間」だけという話になるのですが、時間ほど重篤な価値喪失はないので、結局のところ「完全脱却」ではないので判断の難しいところです。

いつ如何なる習慣によって人生を踏み外すか解らない昨今の社会事情ですが、ハードモードとはいえ世の中はそんなに無為無策の世界ではないのは確かであり、願わくばその悪癖を良い習慣へと転化する知識と行動でもって「好循環の獲得」ができれば、という話に多くは帰結します。ただ、世の中は厄介事の巣窟であり、依存対象に関わる仕事の人などはこれらに全力で抵抗するであろうという話であり、結局「それらが完全に駆逐される日は来ないだろう」という結論。完全な理想などは机上の空論であり、日々の努力でしか解決出来ないというあたりが相当マゾい話ですが、人に生まれ知恵と快楽を覚えた人間に課せられた宿命であり、それに対する知恵と行動を起こすのが人生訓であるという話。知恵絞りの話はまた別の機会にするとして、おそらくは人類が平等に患うであろう不治の病のひとつは…ある種の「人生訓そのもの」なのかもしれません

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