ウェブでの「収益化活動」に舵取りが進む昨今ですが、その反対側で「収益化の放棄」へ舵取りが進む傾向があるとかで、昨今はクラウドファンディングなどの新たな収益化の確立が課題になっているとかというそういう話がピックアップされているようです。配信する側は「収益を得たい」という意思でもって、利用する側は「広告は見たくない」という思惑でもって、それらの仕組みを利用するものと提供するものとの間で色々な思惑に板挟みになっているウェブ運営者にはどんなストレスがあるのかをここしばらく観測していました。結果として「収益化ありきのサイト」は一昔前のポイントサイトのように広告だらけになってしまっており、ユーザビリティのない「見たくないと思わせるサイト」の乱立に繋がってしまったという話を多く観測しました。
広告が情報源として利用されるケースは比較的少なく、配信広告の利用及び広告成果の発生率は良くて数パーセント程度と言われています。それでも利用者の多いサイトでは多くの広告パーツが利用され、わずか数パーセント程度の利用でも相応の成果を上げる形になっていると言われているようです。ただ、成果報酬と利便性はおおよそトレードオフの関係にあり、昨今は「1タップ=1アドページ」くらいの物量の広告ページの表示になっているとかで、ありとあらゆるウェブのメディア媒体が「ストレスを感じる程度の表示環境」になっているという話のようです。広告とユーザーとの関係性は配信する側と受け取る側でのイメージの乖離が激しくなっており、ウェブの品質と利用低下を招く遠因になっていると指摘されるようになっているとか何とか。新聞と折込チラシの比率に例えると今では1:1くらいのイメージらしいですが、それはもう新聞がオマケになりつつあるという話であり、何がコンテンツで何が広告か解らない状況になっているとか。
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そろそろ広告の比重の見直しにはじまる「健全な収益化」について議論するタイミングなのかもしれないと思っています。もしかすると「広告配信の方向性」から議論するという所なのかもしれませんが、この過剰に配信される広告の物量とインフラ圧迫の諸問題とそれに関連付けられる配信リテラシーについて考え直す時期に来ているのでは無いかと思う次第です。20年ほど前にウェブ広告という概念が渡航して以来「ウェブでの収益化活動」が注目されていましたが、結果として利用者のリテラシーを一定量破壊して終息した一連の流れを見てきた者としては、そろそろ動画配信などの配信型広告については「リテラシーの再考」あたりからはじめて欲しいと思っていたりします。ニュース配信サイトで広告動画を見ている時間の方がはっきり言って長いのは、5分のニュース配信枠の3分以上を広告に使っているようなモノではないかと。
金銭関係と倫理関係の諸問題
ウェブでの収益化に於いて「性悪説ありき」という意見が主軸になるようになったのは、ウェブでのリテラシー低下問題が背景にある。クリック広告を無限にクリックするスクリプトが横行したりする事案にはじまり、昨今はスパイウェア・マルウェアの正規アプリへの偽装工作や偽サイトからの個人情報収集への誘因などが観測されている。もともと低かったウェブリテラシーが可視化されただけではないかという指摘もあるが、昨今はその可視化された情報すら偽装された情報である可能性が指摘されている。
広告を収入基盤にしていたかつてのメディアは「広告を発信することで番組の集客と広告情報の提供」を行ってきた訳ですが、その「仕組みの老朽化」についてはほとんど考察・考慮がされてなかったものと推測されています。YouTubeなどをはじめとした動画配信サイトの登場でかつての「コンテンツと広告の抱き合わせ配信」には色々と無理が生じるようになって以来、多くのオールドメディアでは収益の減少を観測しているはずですが、特に対策を講じている様子も無く、昨今は「視聴しているであろう層への広告の増強」でもって対応していると聞きます。昨今のコンテンツのスポンサー層がかなり偏りはじめたのは各メディアが苦慮しだした時期と酷似しているのは、やはりそういう「更新意思の形骸化」の体現なのかもしれません。そろそろ動画配信サービスに周波数帯を譲れとかそういう話が出てくる程度にかつてのメディアは煙たがられている様子が見て取れます。
「案件」にはだいたい「バイアス」がついて回るのが必然というわけで、「忖度」とは「案件企業への配慮」という認識が昨今定着しつつあります。気になる条件の情報が伏せられるというのは「そういうこと」という認識の暗なる拡散を意味しており、配信に載せる配信者もまた苦労する羽目になったとも聞き及んでいます。広告がいまでも選択性がない情報強制というスタンスで配信されている都合、こういった「情報の偏向」は一部で共有されはじめているといわれていますが、それは「それらを経験した層からの情報提供」でもってはじめて認知される部分であり、まだ多くは定着していないと言われています。「案件の真意」が「本来の案件以上に追求される情報」として認知される日も近いように思いますが、それには時間と発信情報と、それ以上に「ストレスを感じる利用者側の経験時間量」が必要になるのかと思ったりします。
忖度される案件問題について
案件のスポンサーへのネガティブ発言の封殺問題が指摘されるようになり、昨今は動画配信などの「案件動画」に「忖度ではないか」と言われる動画や広告があるという指摘が出るようになってきたという。「健全な認知情報を発信する」という前提条件を楯に取った行為ではあるが、かつてから脈々と続いていたという指摘もある。結局のところ「スポンサーへの忖度行為」の真相は「得られる収益が無くなるという背景からだれも追求しないという実情がある」という情報を知らしめるきっかけにはなったが、そもそも忖度行為が無くなったとはだれも言及できないのが現状になっている。
広告配信の健全化を目指しているウェブ発信者の思惑とは裏腹に、広告配信の問題化の方はその倍以上のペースで浸透しているとも聞いています。昨今は健全な広告モジュールに仕込んでみたり、正規品のアプリ広告の先に仕掛けてみたりと多岐にわたった「トラップ化」が進行しており、そのイメージ破壊はかなり深刻になっているようです。かつて敬遠されてそのポジションを追われてきたポップアップ広告も、昨今のニーズからひっそりと復活しているあたりに、包み隠された悪意のようなものを感じます。比較的簡易な認識しやすいトラップですが、知らないユーザー層も相応に増えてきた昨今は「実害を計上する」ケースも観測されており、スマホ閲覧の一般化した昨今は「誤タップ誘因」でもって「実害を計上する」ケースも観測されています。視点を変えれば「共存関係の模索」を放棄し「狩る・狩られるの関係になった」とも受け取れますが、真意は配信者の意図のみぞ知る状況です。
ウェブ広告は、検索エンジンを駆使できる人間から見れば「容易にニーズを把握できる」仕組みであることから、昨今は一般ユーザーでは考えにくいアプローチでもってトラップを仕掛けてくるケースがあると指摘されているとか。「正規品のバイトアプリで闇バイトを募った」というのは、昨今のもっとも尖った利用例であると思います。「仕組みそのものは簡便なもの」で「多くの利用者が日常的に利用するもの」で、かつ「正規利用の手続きに沿った方法」でもって「悪意ある広告・情報へ誘引する」という方法は、情報量が無尽蔵になった昨今に於いて「検知しにくい情報」になっており、どこかで誰かが実害例を発信するまで「認知されない情報」になってしまう傾向にあると言われています。ある意味では「お金という欲望バイアスで一定の人数が確実に被害を被る」という図式がそこに再現されたという話であり、「ウェブでの収益化行為は成功報酬以上の悪意を吸引してしまう」ということにもなりそうですが、それを絶対的に支持するのはまだ時期尚早だと思う次第です。
何故「ウェブでの収益化活動」がという話はこれからも続くと思いますが、そこには「何故ウェブで収益化活動をしようと思うのか」という原動力の方が気になる次第です。というのは、「ウェブ副業」という二次的な活動は「本来なら必要ないものという位置にいて欲しいもの」であり、そもそも「副業が過度にピックアップされる状況の異常性」はもっと知られて欲しいというのがあります。これらのウェブ広告配信は一部の情報慣れした「その界隈のプロ」の仕事だったのですが、情報検索が容易になった過程で多くに認知されてきたという経緯があります。今となっては「必然的に求められる情報」となった「副業事情」ですが、その動機の多くが昨今の慢性的社会貧困にあるのは色々と勘ぐりを入れたくなる背景事情だと思う次第です。



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