昨今の「日常の無法化」が著しい問題をどう思うかという話が興味深かったのでポスト。犯罪発生率の上昇に端を発したといわれる一連の治安悪化のニュースは昨今「日本に於ける日常の崩壊」などと揶揄されるようになりSNSなどで物議を醸し出すネタになっているようですが、その原因に言及する方向性はかなり多岐にわたる様相であり、今のところ「誰のせいでこうなったか」という議論が主に交換されている様子。今となっては「治安の悪い日本の日常」は「共通認知」になりつつあり、その「犯人は誰か?」という議論が主題となって拡散するに至っているようです。
個人的見解をするのであれば、その根源にある主犯格は「日本全体の貧困化」であり、「貧困化の拡大による社会倫理性の低下」であると考えています。社会からの隔絶や閉塞化、心的余裕の欠如からの配慮欠損、将来不安から来るストレスや思考停止からの絶望的観測の拡大など、「貧困」という一点の種火から発した火種の拡散で広範囲に延焼した心的不安要素こそが全ての発端ではないかと考えている次第です。日本においては超長期にわたる緊縮財政政策による金銭的不安要素が四半世紀以上続いており、経済的には「国内経済の循環が止まっている状態」が20年以上継続的に続いている状態であり、「国家の国民軽視」が深刻化しているとまで囁かれているとか何とか。社会福祉のための増税と言われていた消費税は既に一般財源化しており、その用途に関しては「安定的な財源」という認識にすり替えられている始末であり、ありとあらゆる方策でもって増税施策が繰り返されている現状は「国民軽視政策の骨頂」と揶揄されているとか何とかで、国民と国家の対立構造が醸成されているイメージまで見えてしまいます。
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義務教育の初等教育でも「増税・減税の意図」については記されている訳ですが、その施策にすら沿っていない国家運営を万歳三唱で推進する政府機関には怒り心頭といったところです。そもそも国会で議論されている議題がそもそも国民側に向けられた話よりも国会議員内での権威の話ばかりというのがそもそも国会機関の信用低下を利息付で加速させている現状なのですが、当の本人たちはどう思っているのかも知りたい。政治とカネの問題を1年とか2年とかかけて議論するヒマがあったら早急に解決すべき問題に緊急事態的対応をして欲しい次第であり、国民主体の政治をしているのであれば多少の党内の異論を妥協してでも国民に対しての対応をして欲しいのですが、少なくとも平成という時代にその風潮や兆候の類はほとんど見られなかったと記憶しています。インターネットの普及と一般化によってその実態が可視化される過程で「政治家は国民生活の苦について何の興味関心も無い」という事実が白日の下にさらされ出してもなお、彼らは自身の権力闘争と議席の数のカウントに忙しいように見えるわけですが、ちょっと国民向けの弁明放送とかやって欲しいと思ったりしています。
余裕と無駄の混同にはじまった事業整理の諸問題
無駄を省くという名目多くのインフラ投資などが「スーパー無駄遣い」の烙印を押され廃案に追いやられたという問題が、「実際に機能する」という災害事態が「仕分けへの疑問符」となったのは記憶にまだ新しい。防災機能を持つインフラ整備は国家機能の維持には必要なものであり、長期的な保険にもなり得るという話なのだが、「予算の都合で」という理由でいくつかの計画が廃案になっている。今なお「無駄と余裕」という冗長性の問題は多くの分野で再議論・検討がされているが、常に「採算性はあるか」という話で平行線となり、未解決のまま時間だけが経過するという事案が多く観測されている。
国政の失策・失敗の類を「国民一人あたりの借金」と表現した人物は末代まで祟られて欲しいまである。「国家運営機関は信用に値しない実績」を解放した政府機関には、もはやなにも期待してはいけないという暗黙の認知を広めたという側面があることを認識して欲しいまであります。高度情報化社会に舵取りが進み始めた時点で昭和後期くらいからの価値観のアップデートや社会的認識の改定が必要だったのでしょうが、その辺の認識更新は一切図られていなかったように思います。特に労務問題に関する重大問題の放置や黙認の類に至っては昨今のブラック就労環境の温床になっている側面を多く残したことから叩かれて然るべきな話なのですが、国家と企業が率先して労働環境を破壊して現場品質を下げ続けたこと、結果として社会の貧困化と格差の増長を黙認し続け、あまつさえ派遣法に端を発する「一般労働価格のダンピング」による「一億総貧困化政策」への邁進は、四半世紀という長い時間を経て「労働力不足の基礎」になっている始末であり、結果として「移民政策への舵取り」という「更なるダンピング」へと舵を切った事に対しては、現在の深刻な治安悪化に繋がっているという話。国家を挙げての隠蔽体質の露呈を証明する形に収まってなお隠蔽を続ける政府機関には、そろそろ内部から瓦解して欲しいくらいです。
そもそも経済学や国家運営基礎についてどの程度の知識や認識があるのかはそろそろ明かして欲しいまである程度に国家運営音痴ぶりを発揮する国会と周辺省庁の挙動については、もはや誰も信用していないまであるのではないかと思う次第です。国民から見れば「ばら撒き」同然に見える海外支援を「海外向けの投資」と判断するのであれば、そこには「投資による利益回収」というフェーズがあるはずであり、少なくとも「円という通貨が盤石な通貨である」のであれば、少なくとも「海外から得られる収益がある」という話になるはずであり、それでいて「国家に莫大な借金がある」というのであれば、この一連の話は矛盾だらけと言うことに。国家は国民生活を軽視するどころか詐欺行為を働く「詐欺国家」ということになるのですが、そろそろその辺については見解とかを発表して欲しいと思っています。もっとも、虚言の類であるなら「嘘を信じてしまった『信用失墜』という信用面の利息」は計り知れず、仮にその方針・方策が虚言や嘘の類だったとしたら、国家はどこまで遡及して信用失墜の利息を返済しなくてはならないのかという話になってくる。「失われた30年」分だけでも半世紀レベルの債権にはなりかねない訳で、それは「信用を基盤に運営されている国家運営の根底を揺るがす大問題」なのですが、そろそろ真相を少しでも小出しにして欲しい次第です。
公共事業の再考についての多角的考察
公的事業の民営化によって「採算性ありき」の議論が先鋭化する傾向が強くなってきているといわれている。「営利企業が運営する公共施設・機能」は当然のように「採算性ありき」で議論されるため、地域性の高い必要あるものであっても「採算性基準」で排斥が進められるという状況が常態化するようになってきた。結果として郵便輸送の値上げや公共交通の機能低下など、本来「公共機関が一定額税金を投入してでも維持すべきもの」という認識が根底から変化してきた経緯がある。一連の民営化はそれを可視化する結果にはなったものの、実際には民間企業の「採算ありき議論」で維持されており、現在も「合理化という名の低品質化」が進行しているのが実情である。
結果として「歪な国家に振り回される国民」という構図だけが形骸化しながらも残り続けているという形になっているのが現在の日本の実情であると思っています。高齢化して現役世代が失われてきた昨今に於いては「高齢福祉の拡充」という名目で更なる増税の方策が打ち出されているわけですが、高齢層を支える予定の若年現役層が減少に転じている昨今に於けるその方策は「現役世代の奴隷化」でしかない方策ばかりで、「国家の信用破綻」も現実味を帯びてきた感じがあります。昨今は移民政策の推進による弊害がピックアップされており、国家機能の維持困難も指摘される程度には不安要素が増加しており、いつどんな形で「法治国家への反逆」が始まるのかという雰囲気が出始めてきました。国会中継でも対話の形骸化が見て取れるようになってきた昨今、対話放棄へのトリガーがいつ発動してもおかしくない程度には、私たちは「国家を信用していません」。信じたくないですが、SNSなどで観測される情報には「敵は国会議事堂にあり」と豪語する危険な意見も散見されるようになっています。
もし、こういった危険な思想が行動によって体現されることになれば、それは「終わりのはじまりのトリガー」であることになり、日本の内面から法治国家の終焉を発することになるという話ですが、それは個人の妄言のタネくらいに。ただ、その妄言のタネが現実味を帯びてきた昨今、妄言が妄言で終わることを願うばかりではあります。



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