SNSのストレスボックス化が著しく思える昨今、Twitter界隈を中心に毒舌毒文が散乱するタイムラインは事情を知らずともストレスを感じざるを得ない状況になりつつあります。交流を求めるはずの空間で人格攻撃が延々と続く事態は由々しきことなのですが、依存しきってしまったSNSの空気を吸えないことによるストレスもまた増え続けるという妙なジレンマを抱えてしまった昨今のネットユーザーは結局はストレスボックスと化したSNSへと渋々居場所を探しにログインするという悪循環を抱えてしまっています。過剰に拡大したSNS人格攻撃網ですが、その中には看過できない事案や事実も紛れ込んでおり、安易な排除には至れないという現実もあり、結局SNSはストレスボックスのままという実情をどうすることも出来ずにいます。
そろそろ私たちは新しい安住の地が必要なのかもしれません、もっと小さくて濃密なコミュニティで出来た世界が。ただしそれは第三者のサービスに乗っかるカタチではなく、おおよその設計図から自分たちで作る本当に「個人単位のSNS」というべきネットワークが。そうなるともう個人単位でSNSネットワークを構築し、気の知れた仲間同士の招待制SNSというある種の回帰現象が発生するのですが、そもそもSNSの根底の緩やかなコミュニティは安心感によって構築されたものであり、過度に拡大したネットワークが小さなコミュニティに回帰しようとする必然的な願望なのかもしれません。それそのものは回答のひとつであるものの抜本的な解決策ではないのでモヤモヤするのですが、SNSに疲労感を感じた私たちには「既存のSNSからの解放の時間」というものが必要なのかもしれません。
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同好の士によるコミュニティ・ネットワークは、そもそも住みやすいと思われていた空間でした。その幻想を打ち破ったのは他ならぬSNSに端を発するオフ会であり、ネットとリアルに改めて境界線を張り巡らせるきっかけを提唱する羽目になったのですが、私たちは何故「ネットの空想に現実味を思い描いてしまったのか」という問いに答えることは出来ません。何故なら、ネットとリアルとの間に「人格の乖離があった」なんて予想だにしていなかったからであり、いつの間にかネット社会の中に性善説を持ち込んでしまっていたのがそもそもの誤解のはじまりだったのかもしれません。
オフ会に端を発するトラブルの増加と傾向の問題
昨今でこそようやく認知が追いつくようになったというものの、現在も「ネットとリアルの人格乖離」に於ける問題は後を絶たない。インターネットを介した問題の多くがこの類の乖離性の問題をはらんでおり、昨今の人格攻撃や偏見などの誤認識問題のトリガーになっているという。この問題の厄介なところは「インターネットと親和性が高い」ということであり、秘匿性の高いインターネット特有の問題とされているが、その本質は「嘘をつくのに適した環境で嘘をつくのは日常茶飯事」という考え方に近いと言われている。
ネットで知り合った無接点の第三者と上手くやっていけるということがどうなのか、それは今なお係争中の問題のひとつでもあります。ただ、私たちはこれらのツールのおかげで多くのコミュニティ形成に至ったのは事実であり、成功事例の方が多かったというのも胸を張って良い「成果」であると信じています。昨今は災害対策のひとつとしての活用なども模索され、ネットワーク網が巨大化していることがひとつの問題化として提唱されているものの、これらのネットワークの必要性と可能性はそれら弊害部分を差分しても今なお重要な位置を占めていることは間違いない話と言い切って良いと思っています。
何も無いに等しかったインターネット黎明期と、何もかもが余るほどあるインターネット普及期とで何が違うか。それは参加人口というよりも参加者のリテラシー問題に起因する部分が多く、ネットの仕組みやノウハウを知らぬまま参加することによるリスク部分の周知に係る問題であると認識しています。それらの情報はおおよそ検索エンジンに頼めば情報を引き出してくれる程度のものなのですが、暗黙知の多くは「どの単語で検索すれば良いかがわからない」ケースが多い都合、適切な検索が出来ずに混乱に陥ってしまうというのもまたケースなので難しいです。そういう単語の情報もまた暗黙知に属している都合、単語を引き出すのも難しいという変な矛盾は今なおこの界隈を混乱させる原因のひとつにもなっています。
主張の激しい人たちの衝突は昨今日常茶飯事化が著しいためイマイチ認識に欠いてしまう部分ですが、そもそも彼らとの接触を避けることによっても回避行動につなげられる部分でもあります。彼らを避け、時にブロックすることでも無用の騒動を回避することは出来ますが、安易な回避行動が彼らを焚き付けてしまう事例もあるだけにさじ加減の難しさが問われてしまう部分ではありますが。
汚染源と化すSNSの昨今とストレス性の高い問題
何故「インターネットでこれほどの精神汚染的な問題が発生するのか」はインターネット黎明期から言われてきた問題のひとつだが、ひとつはその「秘匿性の高さ」であり、もうひとつはその「影響力の強さ」である。「バズる快感」といわれるくらいにSNSの情報拡散性は高く、ページビューの数値は昨今の「注目度のステータス化」を物語っている。また、ポジティブな情報よりもネガティブな情報の方が拡散性が高くページビューの獲得をしやすいという心的影響力も、インターネットの「汚染の拡大と加速化」に貢献している側面がある。結果としてネガティブとフェイクの情報が「バズる」という理由で拡散性を得ている部分が昨今のSNSリテラシー問題としてピックアップされるようになったが、現時点に於いて解決策になり得る方法や方針は見つかっていないのが現状である。
そもそもSNS依存状態が長期化することが問題であれば、その接触をある程度制限する以外にストレスケアにつなげる方法がないのが実情です。タイムラインにある情報接触量を調整し、必要に応じて情報接触ルートをリスト化し、必要でなければ通知を切るなどして情報量を調整し必要なレスポンスのみを返信する程度に扱わないと、無尽蔵のストレスに晒されることになります。休肝日を設定するが如く、休SNS日を設定する必要はこのストレス多き現代SNSには必要なのかもしれません。厄介なような面倒くさいような。でも、依存しきってしまうことに依る無限ループに陥るよりは遥かに生産性を回復させることに繋がるはずです。丸一日を仕事に捧げるも趣味に没頭するもよし、とにかく「ストレス源を意識しない何かに没頭する」時間を作る必要性があると思う次第です。
時代は日々面倒な方向に進むと言われていますが、それをリアルタイムで反映させているのが昨今のSNSだと思う次第です。面倒くさいといわずに面倒を引き起こしかねない元凶との距離感を作る習慣は、後々の面倒のためにも必要な「最小限の面倒」ということで処置に値すると思うのです。どうして「こんなにもSNSが面倒くさい世界になったか」というのが問題の根源なのですが、それに対して解決のエネルギーを割くことそのものが徒労の塊である都合、今は距離を置く習慣でもって回避行動を行う事が労力軽減の最適解ではないかと思う次第です。本当に面倒くさい話ですが、うっかりの炎上沙汰の火消しと天秤に掛けるのであればこちらの方が圧倒的に軽微なダメージで済むという仕様上。



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