思考停止の仕組みについての論文

時事・事象・社会現象

思考停止とはどういう状況なのか。それは「変わらない日常を延々と繰り返すことに起因する変化への拒絶反応である」と結論付けたい次第ですが、そういった「外的刺激を拒絶する発言」を目にする機会が多くなってきた昨今は異論も無いのかもしれません。自分の中の価値観のみを肯定し、それ以外の価値観を排斥しようとしている彼らの行動理論はおおよそ「井の中の蛙」であり、情報通信技術でもってそれを何十倍にも拡大し拡散しようとする彼らの行動はおおよそ「考えることをやめた人々」のようにも見えます。世の中にはどうしても多様性という壁が立ちはだかる機会が多いのですが、その多様性の壁を片っ端から破壊してまわろうとする彼らの行動原理は「そもそも考える気持ちすら無い」と云わざるを得ないのかもしれません。

そもそも人々の思考に於いて「多様性という障壁」は厄介な代物ですが、それらを時に折衷して歩み寄ろうというのが昨今に於ける「処世術」だと教わってきましたが…彼らはそういった折衷思想など微塵も感じさせない傍若無人極まりない暴論でもって彼らを粉砕しようとしてきました。おそらくはこれからもその傍若無人という名の兵器でもって「お気持ち理論の正当化」を図っていくのでしょうが、そもそも理解する気も折衷する気もない彼らがそういった妥結策に安穏とするハズもなく…ついこの前まで二次元のバストを卑猥と豪語していた彼らは、もう最近だとリアルの豊満バストをも攻撃対象に加えたという話であり、彼らは永遠に理解し合えない対象であると認識するには充分過ぎるイベントが発生していました。

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「彼ら自身の気持ちを満足させるまで攻撃をやめない」ともっぱら評判の「オトコの性癖憎い勢」による二次元キャラクターへの攻撃は、昨今は既にリアル人物へも移行を済ませており、SNS界隈にてその暴論たる砲撃を繰り返しているという話。彼らの中では「彼らが法規であり絶対的に正しいという思考」でもって憎むべき対象を攻撃しているのでしょうが、端から見たら同族嫌悪すらも抱かれかねないほどの醜悪極まりない悪質なワガママ攻撃という話であり、「戦争が憎いから戦争を起こしかねない人類を滅亡させた方が良い」くらいの極論でもって「特に根拠のない謎理論」を展開する彼らの行動はもはや理解不可能であり、「百害あって一利なし」を体現するには充分過ぎるほど公序良俗に反しているという話。こんな狂気じみた人の発言が特に制限されるわけでもない日本の思想的自由は立派だとは思う反面で、こういった社会の歪みを行動でもって示す人々は相応に発言制限くらい食らっても良いのではないかという疑問符はつきまといます。

世界には理解を超越する無知でもって理解行為を破壊する勢力がだいたいどこにでも一定数いるわけですが、彼らは自身の暴言を「キレイなヘイト」と豪語する程度に傍若無人であり、彼ら以外の暴言はすべて万死に値すると云わんばかりの振る舞いを見せてくれました。政治の舞台に於いて「政権が憎い」という理由で「政治の場所で政治的なことを一切しない」人たちが如何にその「自由な思想が保護されているかを知らない」というのはなかなかパンチの効いた皮肉ですが、無知だからこそ彼らはその暴虐とも云える行動に躊躇なく踏み込むことができ、さも自分たち自身が絶対的に正しいと豪語できるのだから…まあ、無知の恥というか無知の稚というか。「戦争反対」と思考もなく軍事力の廃絶を訴えていますが、抑止力の重要性を微塵も知らない彼らこそが「一番戦禍に近い場所にいる」ことは…彼らにはもっと知って欲しかったりします。

「思考停止」というだけあって彼らの発言の多くは支離滅裂であり、まるで定型文をなぞるかのように想定の言い訳を準備し、定期的にブーメランでもって自分を傷付けているのですが、彼らは一切その事実を認めず逆ギレして更なるブーメランを投擲するという…その一連の流れが完全にテンプレ化しているところにその「停止した思考回路」を感じさせます。ダブルスタンダードというのは彼らにとっては軽すぎるのか、彼らの中の「標準思考」は実は「彼らの都合の数だけ存在」し、都合が悪いと「都合が良くなるまで延々と話をすり替え続ける」という思慮深さとは無縁ぶりを発揮する彼らは、今日も「ご都合主義を正規法規に加えようと意味不明を連呼する」のかと思うとウンザリします。そのウンザリ思考もまた、彼らの中ではスタンダードなのかと思うと…生涯わかり合えない人々は存在する、と結論付けるしかないのかもしれません。

「改憲して国防力を高める必要がある」という発言に噛みつく層は一定数いますが、無論「軍事力の維持費」は少ないに越したことはなく、その費用を経済活動などに回せば相応に国益になり得るというのは火を見るより明らかです。ただ、昨今の国境間緊張などを鑑みれば相応にそれら軍事力は必要であり、「対話よりも侵略を選ぶ可能性の高い隣国事情である」と仮定するのであれば…それは抑止力として必要なはずです。「対話のテーブルで酒でも酌み交わせばわかり合える」なんて発言した人もいたようですが、そもそも対話意思もなくテーブルに座る気もなく侵略意思以外のものを持ち合わせていない人々に対話を持ちかけること自体が無謀でしかないのですが…その辺の回答を知る前に彼らは姿をくらませたらしいです。「多様性から得られる教訓」というのは「多様性を認めたところで相互理解が必ずしも出来るわけではない」という話であり、そもそも人類という種族は「過ちを認めない種族である」という話に帰結し、結局のところ「無知によって流血沙汰は避けられなくなる」という話。戦禍の災厄とは得てして「無知者の煽動」によって発生した人的な濁流によって発生したというのは少なからず多くの戦争の歴史が紐解いているのですが、私たちはそもそも「戦争という漠然としたイメージ」だけで戦争の時代を語っているのではないかという気持ちにもなります。

その「お気持ち思想」が立派に「ヘイトスピーチとして機能している」事は一切触れない彼らの思考力がどのくらいの者かは興味深いですが、少なくとも彼らとわかり合えるとは微塵も思えないですし、彼らも同様の事を考えていると思われます。「食い扶持のために作らなくて良い敵を作って戦っている」とでも言うべきなのか、彼らの多くから「現状の否定」以外の発言を聞いたことがありません。肯定を知らない彼らとどうすればわかり合えるのか、言葉による流血を避けたい私たちでも喉から手が出るほど知りたい情報です。21世紀になった未来たる現在、それを誰も説明出来ず、誰も理解しようとしない世界がそこにありますが…この説明責任をどうすれば良いのか。

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