世界は唯一無二にあふれているにも関わらず、まるで量産された工業製品のようにそれらを無下に扱う傾向があるように感じた昨今のニュースの一幕。人命の重みを唱える反対側の時間軸では虐殺の世界が広がっていたりするこの世界にそもそも重い尊さとは何なのかを唱えてみたい次第で、その逆説的な愚行もまた人間の所業なので、私たちがそもそも命の重さを語るには値しない生命体なのかもしれません。そもそもその価値の尺度もまた人間の主観であるわけで、もっと鳥瞰視点で世界を見回してみたら案外尊いモノなんてものは存在しないのかもしれません。そもそも命の価値すらペラペラなのではないかという疑問符すら湧いてくる始末であり、価値基準はそもそも何なのさ? という話になりそうですが。
嫌悪や差別、暴力や虐待といった「尊さとは正反対の行為」が目立って仕方ない昨今のニュース界隈ですが、私たち人間という種族は「主観の違いで殺戮合戦をも厭わない」という残虐性をもった種であり、歴史を紐解けばもっと暴力的な史実ばかりが残って仕方ない種族なので、こうなるのは種の宿命なのかもしれません。はっきり言えることは「歴史は繰り返す」という話であり、命の価値を唱えつつも殺戮を伴う戦争の歴史ばかりが連なっているのが人類の歴史という話であり、そもそも周期的に闘争を求めて止まない種族の宿命なのかもしれないという話であり、死んでも治らないバカというという名の不治の病に冒された悲しい宿命を背負いつづけている私たちの宿命なのかもしれません。
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「君は聖戦を支持するか?」という話は非常に興味深く、根付いた主観による価値観による「異論者の排斥」を選ぶか、新たな価値観との接触による「対話の模索」を選ぶか…人類の史実は前者が多くを占めてきたと言われており、それは現在も続いているものと考えています。世界のどこかで目に見えることのない紛争は発生しており、そのような残酷さを伴う事案は「知らないだけ」という話で実は「世界のどこかで数分単位で発生している」といわれているとか何とか。そんな愚策の歴史を刻んできた人類という種を神々が「優良たる神々の創造物」と捉えるか否かという話は、半分くらいフィクション気分で聞いていた話ですが、妙な信憑性と説得力にあふれていたように感じました。
「主役不在の聖戦」の歴史
歴史上に「聖戦」と称される宗教戦争は数多くあるが、それらのほとんどが「神の名を借りた代理戦争」だという話。「神が望んで起こした戦争」であるのであれば、神自らが陣頭指揮を執るはずであるが、人類史に於ける宗教戦争とは「宗教信者や関係者」による武力衝突であり、「信仰強請のための弾圧行為」である。つまり「聖戦=神の意志」という図式がそもそも成立していない状況下で聖戦と名を冠した武力衝突が起きているという実情があり、その矛盾についての説明を行った人物の存在等の記録は少なくとも有史以来存在していないといわれている。
神々の言葉に齟齬があったばかりに人間が戦争に明け暮れる歴史を刻んできたというのであれば「人類という種は失敗作」というレッテルを貼られたかもしれないし、キレた神々が「人類を滅ぼす」と闇堕ちするに至ったとすれば、人類は全力で神々を追放したのではないかという話。ファンタジーストーリーのネタ帳にありそうな物語の続き的なネタは案外「現在も進行形の問題」なのかもしれません。戦争と混乱と破壊の限りを尽くすという暴虐によって防災意識に目覚め軍縮に至るフラグを立てつつも、恨み深い我らの種族は復讐の牙を研ぎ続けるという話は今なお定番の歴史シナリオとして使われ続けており、人類のトップたる国家指導者は新しい分野の軍拡をつねに模索していることは誰もが知る「語らない事実」なのかもしれません。
人類が愚行に溺れる種に成り果てたことをSNSが私たちに認識させるに至ったきっかけを作ったとしたら、私たちもまた戦乱の渦中に吸い込まれていくことになるだろうという話。大量の血でもってしか戦乱を押さえ込めないとう事実がそこにあり、増えすぎた人類が自浄作用的に戦禍を求めているとすれば人類は「バカという感染症を発症」し、要らぬ血を求める発作を起こすのは時間の問題だと考えるのですが、もう手遅れでしょうか?
いつかの記事に「第3の大量破壊兵器は情報技術」と書いた気がしますが、フェイクによる煽動と報道しない権利を行使し続けるメディアは間違い無く戦争の焚き付け人であり、洗脳的な教育と情報統制によって混乱を余儀なくされた人々は自発的に行動を起こすことを誘引し事件を起こすきっかけを作ることになるだろうし、それを望む人々が一定数いるという事実は間違い無くそれを黙認し利用するものと推測されます。これら情報による煽動によって起きる流血沙汰こそが「第3の大量破壊兵器は情報技術といわせる理由」だと、私は提起したい次第です。少なくともネットメディアの普及が報道メディアの舞台裏を暴き、その実態がフェイクと煽動だったことを突き止めた事実関係からも彼らは「情報が武器になり得ると知っている」のは明白であり、「バカという感染症をこじらせた人たちの暴動」でもって煽動することこそが「第3の世界大戦の火種になる」という核心から率先してフェイクを垂れ流す愚行を繰り返している…という仮説を立てると、ここ2~3年の世界の混沌ぶりがなんとなくしっくり来る感があるのです。
SNSプロパガンダが日常化する日
SNSで政治的発言が注目を集めるようになった昨今、プロパガンダもSNSで展開されるのではないかという意見が複数観測されるようになった。実際にトレンドに入るくらいにSNSでは政治的な会話や議論テーブルが持たれるようになり、その場所に現役の国会議員などが参加するなどの状況が増えてきている。ただ、情報の精査に関しては曖昧かつ不明瞭であるケースも多く、フェイクニュースなどが昨今では深刻な問題としてあげられている。また、SNSが国際的な交流地点として機能している昨今、世界情勢がSNSで議論されるケースも増えている。その効果については未知数ではあるが、今後SNSでの発言ひとつで世界が大きく震撼するような事態が発生しないとも限らなくなってきている。
バカの量産が必要施策であるとすれば、昨今の見るに堪えない事件の凶行性は明白な土壌があることになり、教育を棄てて閉鎖世界へと地域を閉じ込めた昨今の社会は無知やそれに起因する残虐性の「培養期間」なのかもしれません。前世紀の戦乱を知る世代が絶滅期に近付いている2019年が大戦終結から70年と少々、そろそろ無茶理論を楯に横暴を行動に移す指導者が出てきても不思議じゃない時代になってきました。その狼煙を誰が最初に上げるかはさておき、はっきり言えるのは「歴史はやはり繰り返す」という話であり、私たち世代は第3の惨劇の目撃者になるであろうという話。世界各地で争乱の火種がゴロゴロ転がってきた昨今の世界情勢、誰が火気を近づけて炎にするかというところまで来ており、それは世界のどこからでも大炎上する火薬庫に成り得るという話。
そろそろ「命の尊さが蹂躙される時が来る」という戯れ言が本気で戯れ言であって欲しいと願う昨今のニュース界隈の話題、もうどうしようもなく愚の極みまで行ってしまった感が否めず…世界が本当に「バカに付ける特効薬を求めている」フェーズに入ってしまったようにも思えてしまいますが、少なくともここ数日で流れてきたニュースは「残虐な育児」と「凶悪な子供社会」、「オープンなヘイトスピーチ」や「国際的な嫌がらせ行為」といったアレな事案ばかりであり、そろそろ私たち世代あたりが最悪の貧乏くじを引き当てそうな気がして戦々恐々の日々です。でもそれが誰かが「求めて仕掛けた罠」であるとすれば、21世紀最初の世界的惨劇の目撃者に私たちは選ばれてしまうのかもしれません。
本当に、こんな馬鹿げた話。戯れ言だと言って欲しいし、そうあって欲しい。しかし、現実ほど平等に残酷なシステムはない都合、それが世界の選択になる可能性は無きにしも非ず。「馬鹿げた話」と一蹴したい反面で「思い当たる節が多い」ことが気になって仕方ありません。



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